再生への旅

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zoom RSS 風鈴の音「無為自然」

<<   作成日時 : 2013/07/09 04:53   >>

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叱られにきて風鈴を聞いてゐる 玉宗

昨日は祝宴の後片付けであちらこちらと走り回った。
お昼からは越前から出席して下さった板橋禅師樣へのお礼の為に夫人と共に御誕生寺へ伺った。
今年87歳になられる禅師様。初相見から30年以上になるのだが、自己を律するに飄々たること衰えを知らない。

弟子に戴いた絡子への揮毫をお願いしたら「どんな言葉を書いてほしいの?」と仰るので、即座に「無為自然(むいじねん」と応えたことである。現在、禅師様はその御言葉には随分と愛着があるらしく、「ほほう、あんたも無為自然が分かるようになったかい・・。」

私は予め考えていた訳でもなく、偶々禅師様の後ろに掛っている軸にそう書かれていたのを拝借したまでのことだった。それにしても吾ながら「悪くはない」と思ったことである。禅師様の「無為自然」には及ばないにしても、言われてみれば仏道というも、宗教というも、「無為自然」の解脱を生きる為の方便であろうというのが禅師様のお諭しであると私は受けとっている。

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禅師様にお会いしているといつも自分の思い込みや煩悩、見解、拘りの取るに足らない現実を思い知らされる。恰も、風に鳴る風鈴の音に接しているかのごとき時間といってよい。この歳になってその解脱の音が、諸行無常の響きに聞こえて来るのである。涼しい風鈴の音は諸行無常を「無為自然」に生きる精神の然らしむる所でもあった。

「生死は怖れるに足らない。そしてまた生死は敬わなければならない。」

風鈴の音に耳を済ましていると、そのような覚悟が自ずから湧いてくるのだから不思議である。今回も又そんなひとときを過ごさせて頂いた。いつまでもお元気でいてほしいと切に願ったことである。



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「七夕」

九十の母の願ひや星祭

花合歓の峠を三つほど越ゑて

炎天をきて黙々と荼毘に付す

父帰る七夕竹を引き摺りて

葭簀して俳句に狂ふ男とか

夏蒲団通夜の褥の薄さあり

夏衣帷子ほどのかろさにて

あかときの鋼の海に昆布漁

ひとつづゝ鳴らし風鈴品定め

叱られにきて風鈴を聞いてゐる









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