再生への旅

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<<   作成日時 : 2013/08/13 02:08   >>

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死は生の褒美のごとし茄子の馬 玉宗

今日から三日間、お盆の棚経廻りである。

倅ともう一人、助っ人のお坊さんの三人で炎天下を歩きまわる日々が始まる。暑さも連日最高潮し続けて辟易しているのだが、自然には愚痴も通じない。

いつも思う事ではあるが、棚経行事に関しては色々な見解や批判のあることは百も承知しているつもり。しかしながら、愚かでも、嘘でも、ホントでも、糸瓜でもなんでもいい。わからないままにいのち生きる人間の逞しさというものが確かにある。それがまた一つの誤魔化しようのない人間の現実である。

問題とは何か?
だれ一人として、諸行無常のいのちを免れるものはいない。そのようないのちを、私はどう使い切り、完全燃焼させるのかということだ。そこには宗教というドグマや理屈はない。今の、いのちの光りと影の事実があるばかりだ。

お盆が仏教であるかないか、棚経に意味があるかないか。それはつまり私自身の、いのちへの目覚めが試されているということだ。人を救う?そんなオコガマシイことを期待してはいない。地獄へ落ちるのも極楽へ昇天するのも私一人の問題として引受けているつもりである。無意味と言えば全てが無意味だ。理屈や批判が先行している現実というのもなんだか危なっかしい。どっちが元も子もない愚かな所業なのであるか、一概には言えない。

「鰯の頭も信心から」
私という鰯が生きているのは、自己を越えたいのちへの絶対の信頼があるからこそなのである。

お盆、棚経。

それは一つの命の寄り添いのかたちである。


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「盂蘭盆」




沖遠く魂を祭りし夜明けかな

苧殻焚き黄泉の牛車を待つごとし

生身魂遙かなものに応へをり

父母を迎へに茄子の馬に乗り

盆三日影絵のごとく過ぎにけり

怖ろしき山の方より盆の月

寝くたれを叩き起こして盆の鉦

死ぬる世に酔うたる父が踊り出す

迎火や冥くしづかに水流れ

盆棚にままごと遊びのやうなもの

火に仕へ水に仕へて魂祭

ひぐらしや箸を突き刺す死者の飯

山の水汲みて閼伽とす魂迎へ

蓮の飯大きな蟻が来て担ぐ

盆凪と思へる家の暗さかな

迎火を吹き消す風がだしぬけに

急げや急げつくつく法師日が暮れる

魂迎ふ闇に潮のやうなもの




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