再生への旅

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zoom RSS 生老病死に付き添う

<<   作成日時 : 2013/08/17 04:10   >>

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腸の一句もならず鳥渡る 玉宗

私は亡くなった実の父母に対して未だに負い目がある。
実姉夫婦に二人の面倒を見てもらい、二人の晩年に付き添うことをせず出家したことだ。出家が人生再生の一つの賭けであった私。自分のことしか考えることができなかった愚かな息子ではあった。父も母も私には優しかった。二人に叱られたという記憶がないのである。それでも私は親の存在を持て余していたのである。親を殺したがっているのかもしれないと思うことさえあった。それほど自分の人生に展望が利かず、迷っていたのである。

そのような恩知らずの人間が住職になって何回も葬儀をしている。その都度、死に顔を拝見し、死に水を含ませ手を合わせる。土に生きてきた老人の大地のような安らかなものから、冥界へ引き裂かれるごとき苦痛の表情まで様々な死に顔を拝見してきた。死に顔にも表情がある。ときには崩壊する肉体へ蛆や蠅が集っていたこともある。当に死の端的である。

父母の臨終に立ち合うことはできなかったが、二人の葬儀には駆け付け、私が導師として引導を渡した。やすらかな死に顔を見て些かの安堵感があったのを記憶している。
「北晨院海徳義道居士」「南窓院帰法妙依大師」
北海道の海に生きた父とそれに最後まで付き添った母への、せめてもの贈りものであった。

親の晩年や臨終に付き添うことをしなかった負い目からだろうか、今では家族や檀家さんの生老病死をしかっり見つめ、寄り添いたいといった思いがどこかにあるようだ。
どうしたら一度限りの今生のいのちを、後悔なく生き切ることができるのか。それを生老病死そのものからしっかりと学ぶこと。

遅まきながらも、それが亡くなった父母に寄り添えなかった私という人間の業であり、尚且つ両親への回向なのである。


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「鳥渡る」

而してつくつく法師鳴くばかり

帰省子のゐなくなりたる畳かな

謎解けぬままに老いたる木の実かな

なきがらに鞭打つ秋の暑さかな

朝顔ほどけなげな花を知らざりき

失くしたる夢の数ほど蜻蛉群れ

鬼灯の夕焼け色に雨が来る

生身魂小さき欠伸したまへり

小箱うれしや風船葛夢いくつ

なるやうになつてしまへる糸瓜かな

死ぬる世に口伝ありけり唐辛子

腸の一句もならず鳥渡る





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