再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS メメント・モリ

<<   作成日時 : 2013/08/18 04:42   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


秋を舞ふ鴎の腋のさびしさよ 玉宗

「メメント・モリ」という言葉がある。
ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句だそうである。諸行無常は古今東西を貫通する真理であろうから改めて驚くに当たらないのであるが、「忘れる」癖も又、同様に古今東西の人間に備わる才能なのだと思い当たる。

考えてみれば、生きていることが当たり前だという思い込みは極めて幻想的な、阿片的なもの、誤解の最たるものなのかもしれない。今、生きていることが奇跡であると云われても、その余りのなんともなさに人はいつしか死を考えなくなる傾向がある。癖と言ってもよかろう。それはまた極めて自然なことのようにも思える。なにもかも「忘れることが出来ない」とは一つの地獄であろうし、気が触れてしまうだろう。

「忘れる能力」それは「無常」を直視するために人間は精神の柔軟さを獲得しなければならなかったということなのであろう。死ぬべき命であることは勿論、常ならぬものなど一つもないのだという諦念が今を生きる事の充実への一歩なのだと聖者はいう。確かに、ありのままを受け入れ、生きることしか私に選択の余地はない。

人生とは、儚い、一瞬の命の夢、創造物、芸術のようなものかもしれない。美は儚さの兄弟のようなものだ。永遠の命と云うものがあるとしたら、それはまた頗る孤独な、出来の悪い創造物のように見えてくる。

「死すべき命であることを忘れるな」
それは確かに賢者の言葉である。と同時に、余りにも人間的な言葉でもある。

一寸先は闇であるからこそ、死ぬべき命であるからこそ生が輝くのであろう。私が私として生き、死ぬ、それだけのことに惜しみない天の采配がある。思えば不思議なことであった。

画像



「文月」

文月の畳に眠る草のごと

銀漢の沖より島の神が来る

貞操を生贄にして踊るなり

送行の荷を枕辺に山の月

人の世に人は疲れて芒かな

秋風や取るに足りないことばかり

萩にだけ吹く風ありぬ肘枕

女郎花ここにゐますと咲いてけり

墓参への道のだんだん細くなり

蜻蛉の空にきざはしあるらしく





ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
メメント・モリ 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる