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zoom RSS 人生の一大事を生きる

<<   作成日時 : 2013/08/26 06:26   >>

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手遊びのゑのころ草と遠くまで 玉宗

「生をあきらめ死をあきらむるは仏家一大事の因縁なり」

曹洞修証義、つまり道元禅師のお言葉にある一節である。「一大事」とは 「放置できない重大な出来事。容易でない事態。」というような意味で一般にもよく耳にする言葉である。
人生の一大事。重要課題とはなんだろうか?恐らく人様々なのであろう。然し、欲望の領域からすれば似たり寄ったりとも言えそうではある。

「死」は課題ではない。いのち生きることにとって「死」それは万人に等しく与えられた「いのちの条件」であり、答であり、課題とはあくまで生きている間の話である。
生きていると次から次と様々な課題が生まれて来るものだ。然し、それらの全てが「重要課題」と言い切るには大いに躊躇いがある。一度きりの人生で、そんなことは採るに足りない「課題」と言いたくなるような「課題」が結構あるものだ。

生きる、それはいのちを繋ぐことであり「食べる」という厳粛な努力を重ねなければならない。恐らく、人が生きる為のこれが「重要課題」であることを否定する者はいないだろう。
然し、人はただ「食べるために生きる」ことができるような動物ではない。大なり小なり、「生きる意義」といったものを後付けでも先付けでもしたい。人は何がしかの「こころざし」を持たなければ生きて行けない動物でもある。

お釈迦さまも、キリストも、マホメットも、孔子も、生きる為に食べるという行為を続けた筈である。ただ、これらの聖人にとってそれは「重要課題」ではなかった節がある。
「自己とは何か?」「如何に生きるか?!」
そういったアポリアを担って生きることこそが人生の一大事であると自己にも言い聞かせ、人にも諭している。どこかに「食べる」という「課題」を後回しにしている風なところがある。そういう意味では選ばれた土俵の人間なのであろう。


嘗て、丘 宗潭という宗師家に雲水が問答をしかけた。

「一大事をお示しください」

「だれの一大事じゃ」

「・・・わたくしの・・」

「そんなものどうでもいいじゃないか!わっはっは」

お坊さんとは本来「一大事」を決着し、衆生済度という因縁に生きることを更なる「一大事」としている人間のことを言うのであろうと思っている。「食べる」という「課題」のために汗水垂らして働かないのではない。「食べる」ことと同じように「何のためにいきるのか」といった「課題」も同時に担っていくことを本意としていると思いたい。

いずれにしても、「眼横鼻直」にして「不汚染」なる「いのち」そのものが既に「一大事因縁」の賜である。「一大事因縁のいのち」を生きている。それをまっすぐ戴いていく、ありのままというだけの話しであり、身を以って実践するという世界の話しである。


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「葉月」

虫の音も風と消えゆく葉月かな

盆過ぎの伏葱首を擡げけり

白桃の息するごとき肌触り

子を喰らふ鬼の母神稲光

天高くこれ以上嘘が吐けない

鰯雲いくさ幾たび経たる世の

迸る尿美しや秋の蝉

奥能登の山より暮るゝちちろかな

会ふことの叶はざる世や秋夕焼

落鮎の落ちゆく先や柄杓星







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