再生への旅

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zoom RSS さよならだけの人生?!

<<   作成日時 : 2013/08/30 03:59   >>

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潮騒や月に眠れる葛の花 玉宗


この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ


井伏鱒二の名訳で有名な詩である。詩人とは穿ったことを言うものである。しかしながら「さよならだけ」と言い切るには仏法的には俄かに頷きがたいところもないことはない。

確かに、相別れる人の世の定め。いのち生まれ出たときからの死ぬべき宿命、いつとも知れぬさよならの宿命を背負いつつ生きている人間ではある。
この世が豊かで、美しいものであればあるほど、いのちを惜しむ心が募る。どんなに惜しんでも叶わない時の流れ。そのような諸行無常の人生で真に寄り添うべきものとは何か?人生の宝とは何か?支えとなるものとは何か?

親や先祖から引き継いでいるいのちの灯。ローソクの灯のように元の灯は消え、切れていながらも、今のいのちの灯として繋がっている事実。
そのいのちの灯の点るこの世とは仮の宿とも云われている。立ち帰るべき本来のところがあるからこその仮であろう。仮ならばいくらでも誤魔化しが利くようなものだが、そうはいかない。やっただけのことはちゃんと結果がついて来る世界でもある。これはどうしたことか?そのような不可思議な仮の宿に灯すいのちの灯。

いのちとは当にそのような儚さが本来の面目なのであろう。儚さゆえの輝き。そのようないのちの今を戴き、そのような今にいのちを尽くしていく。仏の方を向いて生きていく、諸行無常に学びながら生きていく。親や先祖の血と肉と、そして志しを戴き、施す。あきらめないで何度でも立ち上がり歩み続ける。寄り添うべきは諸行無常の今しかない。

よく生きることができて初めてよく死ぬることが出来るのではないかと、人様の生き様や死に樣をみて想像する。その日その日、その時そのときを精一杯生き抜いてこそ救われている事実がある。そのような日常を諸行無常の流れの中で作りあげていく。そこに人生の醍醐味も意義もあるのではないか。


この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ


詩人はときに逆説を弄する。諸行無常の虚しい人生である現実。それは誤魔化しようがない。だからこそ今の出会いを大事に、精一杯生き抜いて行こう詩っているのである。私はそう思いたい。


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「稲雀」

喰ひ足りて眠たさうなる稲雀

倭の名の国の性懲りもなき稲雀

二三羽は遅れて逃ぐる稲雀

生き過ぎてしまへりと思ふすすきかな

コスモスに破れかぶれの風が吹く

蟷螂の山河果てなく盲ひけり

能面の裏は暗黒稲光り

虫の夜あすは素直にならうと思ふ

鈴虫や子離れできぬ父の夜

鶏頭のごつごつ咲いてをりにけり








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