再生への旅

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zoom RSS 諸行無常から学ぶ「私は死に損ないです」

<<   作成日時 : 2013/08/04 05:22   >>

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父母のあの世気になる暑さかな 玉宗

先日、とある方から、東日本大震災に被災した宗門のお寺さんが再建・復興ならず自死されたという話を聞いた。マスコミでも、宗門の宗報でも見聞していなかったので、少なからずショックを受けたことである。単なるうわさ話として見すごしてもいいのであるが、どうもそうでもないようなもの言いであった。

あの震災と津波で、伽藍や墓地を失くされた事例があった。多くの檀家さんが被災者でもあり、地域を離れざるを得ない現実があっただろうし、生活再建が目の前の一大事である。お寺の再建は住職が一人心を痛めていたのに違いない。それを思うと胸が熱くなる。自死は将来の展望が開けず、お寺の存続に行き詰った住職の一つの答ではあっただろう。その時、彼は仏弟子ではなく、一人の弱い人間として絶望の淵へ身をなげたのかもしれない。

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私は嘗て、私自身の能登半島地震被災の体験から学んだ生きる知恵を、東日本被災者の皆さんへ発信したことがある。
<「東日本大震災から一年。被災者の皆さんへ 」http://72463743.at.webry.info/201203/article_12.html
<「復興の柱・「絆」再考」 http://72463743.at.webry.info/201305/article_23.html

それは諸行無常からの学びの言葉であると言ってよい。結論を言えば「生きることをあきらめない」という自覚である。

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だれでも生きている限り、失望、絶望の山河に巡り合う事は少なからずあろう。生きる力、それは体力以上に、「生きる」という「こころざし」がなくては叶わぬものだ。人間は「こころざしを持って生きる動物」である。そのあるべき「こころざし」「生きる方向性」「生きる目的・意義」といったものを彼の住職は見失ってしまったのである。仏弟子もまた一人の弱き人間である。私たちはここにも被災者の現実があることを知らなければならない。

人はみなある意味、死に損ないである。
かくいう私もまた、死に損なって、今がある。それは少しだけ生き伸びたということではあるが、生というものが、近くて遠い死と共にあることを如実に知ったということでもあった。諸行無常なればこそのお互いのいのち。冥福を祈るのに吝かではないが、自死とは如何にも口惜しい所業ではある。合掌。

〈平成19年能登半島地震〉朝日新聞デジタルメディア動画より・最初に出てくる倒壊現場が興禅寺です。
http://www.woopie.jp/video/watch/04e14ada05ea2bb5



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「蝉しぐれ」


蝉しぐれむかし家族のありにけり

愚かさをつぐなふ汗でありにけり

蝙蝠の飛び交ふ月の風らしく

ひぐらしや森がだんだん暗くなる

蛇口より叫ぶこゑして原爆忌

人を待つことのあかるさ夏帽子

胡麻を擂る外に用事もなかりけり

八月の太陽に曳き回されて

夫叱るやうに毛虫を掃き出せる






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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
すごいものが見られました。これが倒壊した、元の興禅寺でしたか。よくご夫婦とも無事に生還されました。「再生への旅」の原点ですね。
志村建世
2013/08/04 23:33

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