再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 立秋・人生の秋

<<   作成日時 : 2013/08/08 04:33   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


芋の葉も赤子包めるほどとなり 玉宗

昨日は立秋。
これからの暑さも残暑となるが、北陸の残暑はまた半端ない。というよりこれからが暑さの本番と言ってもいいくらいだ。
一昨日のお通夜では暑さで意識が朦朧として、お経を誦むのも覚束ない有り様。横で見ていた夫人が私の様子がおかしいのでひやひやしたそうである。いやはや、お盆が控えているというのに、今から体力が持つか些か心配。

そうはいっても、日中の暑さとの差がそうさせるのだろうが、朝晩は涼しげになることも確かではある。散歩していたら馬追を見つけた。虫の音を聞く日も間近なのであろう。稲穂も少しづつ色づいてきている。田圃の空を飛び交う雀や蜻蛉が目に付く。燕の空もどこか帰心を誘うような高さになりつつある。ねこじゃらしも秋の初風を捉えようと穂を伸ばし始めている。

「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」ではあるが、風だけではない、よく見れば一木一草の自然の細部に時の流れは免れ難く秋を装い始めている。

人もまた、季節の運行のなかでうつろい、色づいているに違いない。冬には冬の心、春には春の心、夏には夏の、秋には秋の心映えというものが確かにある。それはそのまま人生の山河、起承転結にも当て嵌まる心もようでもあろう。50代は人生の初秋というところだろうか?いのちの深さ、豊かさを味わい、省み、後押しする人生の秋。

いつも時の流れに地団太踏んでばかりで、過ぎたことをいつまでも引き摺り、未だ来ぬ先を引っ張りこもうとしたり、挙句に今を蔑ろに、うっかり過ごしてしまいがちである。人生の秋ではあるが、いのちは今が誕生、今が臨終。今が極楽、今が地獄と心得て応えていかなければならない。すべては今の、私の心模様の反映である。

画像


「立秋」

譬ふれば屁糞蔓のやうな娘で

立秋や犬に引かれて土手歩く

生娘に少し難あり灸花

藪枯し愚かに俳を志す

紅の睫毛靡かす合歓の花

馬追の翅を畳むに手間取りぬ

汚れなき蜻蛉の空に追ひつけず

風はもうわがものかほに秋立ちぬ

ねこじやらしひとりに慣れてしまひけり

寝返りを打てば秋立つ山家かな

にぎやかに逃げ回りをり稻雀





ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
立秋・人生の秋 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる