再生への旅

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zoom RSS 今日の脚下照顧「間」

<<   作成日時 : 2013/09/12 05:14   >>

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龍淵に潜み火宅に灯が点る 玉宗

今日から15日まで大本山總持寺祖院御征忌が厳修される。

私も喉や腰の具合が芳しくないのだが、時間の許す限り随喜する予定である。倅は二回目の大法要を経験することになる。横浜鶴見の大本山總持寺から法助に来ている雲水さん達と力を合わせての行持。日常の行持も年に一回の行持も、どれもこれも疎かにできない貴重な体験である。疎かならない日々の行持での力量が大きな行事の支えとなり、そして大きな行持で培ったものが、以後の日々の行持を更に豊かな内実を与えることを知るであろう。

どのような世界でもそうだと思うが、年季を経るに従って見えて来る「間」というものがある。「間」の存在を知ることで、無闇に動き回っていた一年目よりは無駄な動きがなくなっている筈である。無闇とは「我見の世界」とも言えよう。仏道に於いて年季を経るとは「我見」が取れる事でなければならない。お経を誦むことから、坐禅も作務も挨拶も、所作進退、行住坐臥、一事が万事。「わたくしの無い」ところを狙って修行していかなければならない。それが必ず身につき、心につく日が来る。徒や疎かに扱ってよい「今」などありはしないと覚悟してほしい。

かく言う師匠は年々法要での所作進退が妖しいものになりつつある現状。動きたくても動けない有り様。それは「間」というより「間抜け」といってよい代物である。雲水時代の、あの美しい「間の取り方」は叶うべきもない。まあ、枯れ木も山の賑わいということで勘弁して頂こう。今年は倅や山内の皆さんの邪魔にならないよう控え目に随喜するつもりである。


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「厄日」

落日へ二百十日の手を合す

息かけて窓を磨ける厄日かな

本流は葛の花影見え隠れ

花茗荷光陰つひに仄暗き

北さして沖ゆく船や新松子

尾花蛸釣らむと赤き幣垂らし

ことごとく腹を空かせし秋思なる

秋刀魚焼く人間臭き典座かな

龍淵に腹冷やすなと母のいふ

またもとの二人の暮し紫蘇は実に

死ぬことのいのちはなやぐ彼岸花








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