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zoom RSS 少欲知足・秋の果物の場合

<<   作成日時 : 2013/09/24 03:54   >>

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謎解けぬままに老いたる木の実かな 玉宗

不思議なもので季節の移り変わりとともに旬の果物が食べたくなる。そして旬を過ぎたものは食べたくなくなる。
この間まで西瓜が食べたくてしょうがなかったが、今では西瓜を食べる気がしないし、食べている人に嫌悪感さえ抱きかねない。昨日はなんだか無性に葡萄が食べたかった。そろそろ柿の顔を見たくなってきている。

果物にも本来「旬」がある筈だが、年間を通じて食べれるようになったものも少なくないのだろう。海外のものが輸入されてもいるのだろうから、今更「旬」に拘るのもおかしいことなのだろうか。「旬」の果物を食べたがる私などは「古い人間」か「田舎者」の部類に属するのだろう。

自然は季節の摂理に順じて実ったり実らなかったりしているだけで、人間を飽食させたり飢餓にさせたりする善意や悪意があるとも思えない。自然は自然に随順しているにすぎない。人間社会は栽培や保管技術の進歩や流通の整備させ、その生産物である果物もまた世界を席巻し、自然を席巻しようとしている。

「消費者」とは実際のところは「食べさせられている」「消費させられている」というのが真相のような気もしないではない。飽食の時代と呼ばれて久しい日本であるが、果物もまた例外ではないのだろう。自給率のことはよく解らないが、飢餓に苦しんでいる民族もある一方で、作り過ぎたり、売れなかったりして捨てられたりする食料も半端ない現代日本。メタボリックシンドロームなどといった笑うに笑えない人類病が蔓延しようとしている。

そのようなことどもを思えば、飢えを知るからこその飽食なのかどうか一概に言えそうもない。意外と飢えを知らない、飢えの幻影に怯えての過剰生産であり、過剰消費であり、飽食なのではないのか。
足ることを知らず、明日の事を思い煩うことを止めない人類。賢いのか愚かなのか分からなくなる。思えば、ゴキブリより逞しく、始末の悪い生きものなのかもしれない。食いしん坊の私が嘆いても説得力がないのではあるが。


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「固さ」

背伸びして銀河に少し近づきぬ

次の世はちんちろりんと鳴いたろか

結界に忍び込んではつづれさせ

藪蘭に囲まれあとは死ぬばかり

藪中に釣船草の難破せり

つくばねの一つ落ちたる一つの夜

もの影のうつろひやすく木瓜は実に

水引の花の先々省略す

花のみに秋明菊は日当たりて

混沌を固く閉ざして椿の実

金輪際石の固さやくわりんの実

無花果を啜るしがなき顔をして

正夢のごとく佇む彼岸花

藤袴礼儀正しく虚をつきぬ

狩人の血がざはめきぬ鰯雲




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
無花果の色がきれいですね。
でももう少しおけばよかったような。或いはいいところは食されたあとなのでしょう。
花てぼ
2013/09/24 07:54







イチジクがとっても美味しそう

無花果を啜るしがなき顔をして



たか子
2013/09/24 08:28

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