再生への旅

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zoom RSS お釈迦さまから91代?!

<<   作成日時 : 2013/09/25 05:33   >>

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秋風や懲りずに生きてゆくつもり 玉宗

所謂「道」と呼ばれる世界にはそれぞれ「口伝」「免許皆伝」といった秘儀・室内の秘伝といったものがあるだろう。「仏道」もまた、そのような端的に、目の当たりに伝えられてゆく世界なのである。そうでなければならない。人格といういのち丸ごとの感応道交の世界。生きることが具体的であるように、死ぬことが具体的であるように、「道」もまた具体的でなければ用を為さない。仏道で云う「具体的」とは欲望の世界を越えた「無用の用」たる生き方の「典型」であるということ。それは「現実家」といった筋合いのものではない。

仏弟子の仏弟子たる所以、代々受け継がれてきたものとは、「仏戒」と呼ばれるそのような「生き方の典型」なのである。「仏戒」という我執を離れ、我執から解放され、我執のない世界に目覚めて生きること。「典型」とは型にはまった生き方ではない。筋が一本通っているということである。

とまあ、理屈はそういうことにして、此処だけの話し、実は私はお釈迦さまから91代目の仏弟子なんである。

んな、ばかな。と御思いの御仁も居られるかもしれないが、菩薩大戒の血脈ではそうなんである。それがどうしたと御思いになる方も居られるかもしれないが、ともすれば、わがことに感けて難値難遇の仏道に巡り合えていることを忘れがちである手前、われながら改めて実に大したもんではあると思う。

それにしても91代目にして私のような俳諧狂いの仏弟子が蠢いているとはお釈迦様でも御存知あるまい。などと嘯いている場合ではない。我が為に伝えられてきた仏戒を端的に頂いて生き、次へと伝えていかなければならない。ガンジス河の一滴、一微塵にも値しないような、ささやか過ぎる私のいのち。そんないのちが巡り合った仏道。

曲がりなりにも30年、仏弟子として生きてきた。次の代へ伝えるべきものをしっかりと再確認し、覿面に伝えられるようにしなければならない。謂わば、それが私の終活である。

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「秋の暮」

うつろなる夢のつづきや秋の暮

死んでゆく草の匂ひやきりぎりす

大海の寄する浜辺に秋ひとり

寄する波引く波秋の深みかも

死ぬる世の動かぬ証拠夕芒

正夢といふ彼岸花のやうなもの

遊ぶ子の顔は真つ暗猫じやらし

蛸を釣る男がひとり夕月夜

秋風や懲りずに生きてゆくつもり

人声の遠退いてゆく月夜茸

天上に漁る秋の夕焼かな





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