再生への旅

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zoom RSS 紅葉狩りにはまだ早いんですが・・・。

<<   作成日時 : 2013/09/26 04:48   >>

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籾を焼く煙り影なす月夜かな 玉宗

仲秋の名月も過ぎて、これから秋の深まりも加速していくことだろう。少しづつ夜明けが遅くなり、日暮れも早くなってきている。お天道様が出る前に起きて勤行をしているのだが、日暮れ近くになると今日一日大したこともしなかったと悔やむようになった。

ところで紅葉狩りにはまだ早いのだが、若いころからどうも苦手なんである。秋の自然の装いを目の当たりにするといつもやるせない思いになってしまうのが常だからだ。紅葉の華やかさにはどこか人生の儚さを象徴している様なところがある。そんな摺り込みを小さいころから持っていた風もあるから厄介だ。

そして人生の秋というものに思いを致すとき、それは私自身の人生の豊かさ、深さの反映であることを免れない。逃げることもできない自己の様子にまみえること。やるせなさの正体とはどうもその辺にありそうなのは見当がついている。それと共に、落ち着きのなさといった性格も関与しているのだろう。この歳になってもその辺は大して改善されてはいないのが正直なところである。

ジタバタ生きて来た五十余年。ここに至って私の行く末も大凡見えてきている。いつまでも死なないでいるつもりは毛頭ない。だからこそ、去る鳥後を汚さずではないが、わが人生の秋の彩りや実りを次の代へ確かなものとして遺してあげたいといった思いに駆られる。しかし、それとて妄想の類である。

私が人生で撒いて来た種。それ以外の何物も花を咲かせ、実を結ばないであろう。花や実が今生に結ばれるとも限らない。わが死後に結ぶ善悪を越えた花や実もあろう。「縁」とはそのようなものだと捉えている。要するに生前も死後も、私は何も知らないに等しい。生きている間は大方欲望の世界からの展望である。

人生の秋、といったものはあるだろう。それを見、感じることができる汚れのない目や心が試されている。今をまっすぐ生きる以外に命の深さや豊かさや彩りにまみえ、感応することはできないであろう。
そのような次第であるから、今年もまた夫人と共に紅葉狩りに出掛けることになるだろう。彼女は私にとって掛け替えのない人生の戦友だから。



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「野菊」

窓拭いて秋天少し近づける

片寄りし日の丸弁当天高き

つちくれの色して蛙穴に入る

秀野忌の鵙今生の声あぐる

ははそはの形見の野菊胸に抱く

無花果の傷むがごとく熟しけり

炊き上がる栗飯母が優しくなる

やがて吾もなだれ落ちゆく銀河かな

やさしさの徒となりたる案山子かな

にんげんは不真面目雁の渡るらし

千草吹く旅に疲れし風ならむ







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