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zoom RSS 大衆文芸『ムジカ』創刊へ・葛原りょうという生き方

<<   作成日時 : 2013/09/08 05:05   >>

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萩に風そこを退いてと云はむばかり 玉宗


大衆文芸『ムジカ』と名乗る雑誌の創刊準備号が手本に送られて来た。
代表者である葛原りょう氏は知る人ぞ知る人物。プロフィールには以下のようにある。

<東京都三鷹市生まれ。1998年、武者小路実篤提唱の共同体「新しき村」に入村。
2004年、第一詩集『朝のワーク』(書肆青樹社)刊行。
2007年、第二詩集『魂の場所』(コールサック社)、詩集『朝のワーク』が文芸社ビジュアルアートから復刻出版される。
短歌では高坂明良の筆名で歌人福島泰樹に師事。
2009年4月、朗読バンド「ムジカマジカ」を結成。
2010年11月、山形県南陽市で「ムジカマジカ」によるチャリテイーライブを開催する。
俳句では角川春樹主宰「荒地句会」に参加。>


創刊の辞は次のようなものである。全文を紹介する。

創刊の辞

 良きにしろ悪しきにしろ今や日本はあらゆる表現で溢れかえっている。文芸雑誌と名乗るものの読者離れは、それが、そのままの評価であるにも関わらず、ますます読者に背を向け、「閉じた表現」に熱心である。新人の門は固く鎖され、著名作家が巻頭に居座り、賞でさえ年功序列、根回し、身内優先、作品本来の評価とは程遠い。私は剣の鞘を抜き、その切っ先を向けそれらに問いたい。「本当にそれらは読ませたい代物なのか?」と。そして読者にも問いたい。「感じたいのは、魂を揺さぶる感動ではないのか?」と。大衆が望むものは何か?それは現代さまざまな娯楽がある以上、一概に答えは出ない。しかし万古、人の心は変わらない。うつくしいものは心に打てば鳴り出すだろう。
 大衆は個性を失い、感性は鈍磨されていると感じるときが多々ある。私たちは表現者側からの立場に甘んじない。読者あっての総合文芸誌である。人間本来の情感に訴える時代を超越する表現をここに示してゆきたいのだ。読者が求めているのは今日の逸楽のみに限らない。あえて名を挙げよう。「文学界」「すばる」「新潮」「文藝春秋」これらはいったい何を生産し、供給しているのか。

 私たちは無名の夜明けから出立する。創作者それぞれの到達点は違うだろう。しかし、一つ、階段を登るたびに山の頂が見えてくるように、創作者自身の山の頂点に辿り着く一助tpなれば、それは私の無上の創作冥利に尽きる。それがひいては、あらゆる表現に飽きた一般読者諸氏の欲するところでもあろうかと密かに思うものである。
 未曾有の大震災からはや二年が経った。その間、政府は法律に反してまで、被爆者を量産するに至っている。メディアはそれを助長する。文化まで毒されてよいものであろうか。
 私は願う。新たなそれぞれの山嶺の頂で、手を振り合い、めいめいの旗を振り合い、星明りの下で、詩歌、小説、絵画、音楽の炎の宴を、祝福し合う時が来ることを。

       2013年5月吉日
            大衆文芸ムジカ代表 葛原りょう



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多彩な才能の持ち主である。魂、ソウルという言葉が横切った。只者ではない。
その俳句を少し紹介する。

  冬之章

咳き込めば一歩近づく玉座かな
煮こごりや寂しがり屋の文京区
白鳥来デカタンの眼差しすれば
オリオンを父と呼びたき父無し子
方言を持たず枯野が止まらない
八戸港犬の骸へ風花す
瞬きに凍蝶生まれ死に生まれ
冬三日月の下 肉食は淋しい
雪踏んで君へアリアの手紙書く
雪虫を見つけて無職と書く履歴
冬霧を進む後ろを狙われて

  春之章

切傷に残雪塗ってきりもなし
風信子窓辺が肺を病んでゐる
藤の花 地に哀しみの報せする
薬箱を取り合う一家鬼棲まう
病的な桜が鬱を食べてゐる
みざるゐわざるきかざる桜しべ降る
陽炎へる母の背後の柱時計
鉛筆を転がし一日霞かな
薄氷やカインの裔を慈しむ
触れ難き少女をリラと名付けるや
三人の三を怨みし青き踏む
こでまりと言えば仲良くなるやうな

  夏之章

奪えない人のいて圧倒的な初夏
駒鳥の愚痴は優しい機関銃
薫風や分母が足りず丘のうへ
弟を生まば迷路の七変化
シベリウス聴いて白夜の砕けちり
水中花見えないものを信じたき
夜焚かな獣の声で囁ける
運命を叩く窓辺の蛾をいれる
致死量の朧で街はフェードアウト
眠れずに中也蔓延る夏の果て

  履歴

零歳の移民となりぬ花茨
三歳の視界よぎるは曼珠沙華
春陰を手に入れすぎた六歳児
九歳の九の数だけ免罪符
十歳の仮面を磨く聖夜かな
法師蟬とぎれて十二歳の息
十三歳は はたた神の山羊となり
十四歳の臨界点にキャベツ畠
壁を打つ十五歳から五月闇
蝙蝠の羽ばたき十六歳の唾吐き
十七歳飛べない鳥の瞳して
十八の助走は長く日短し
しがらみの樹氷ほどけぬ十九歳
二十歳まだ淋しい風の風見鶏

  秋之章

文月と名付けた亀の首を切り
障害を持った葉月を忘れない
自閉児の指真っ黒薬掘る
星祭ほほえむことは殺すこと
三日月のかあるくなるまで看取る恋
鉛筆を削る秋めくまで削る
赤とんぼもう降りる駅はない
やさしさを齧る残菊立つばかり
銀河呑む王の胃袋は愛しい
水引の花を挟めば詩集かな
こすもすや揺れたら負けだ人間は
刈田にはひとりぼっちの鬼がゐる  (俳句アンソロジー『風見鶏』より)


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私のような田舎俳人が知らなかっただけかもしらないが、俳壇で葛原氏の作品に触れることはなかった。これはどうしたことか。どの句にも魂の声と言ってよい、作者の純な心が響いて来る。定型を溢れ出ようとする瑞々しい感性。定型は定型を越えるべき詩心によってのみ真の定型詩となりうる。予定調和と言う安易なものではなく、繊細ゆえの不協和音。私にとって、それは決して不快和音ではない。いのちの深淵を覗くことが出来るのも詩人の特権であり、条件である。作品にはそんな重低音が流れている。十分に共鳴できる感性の世界である。

そのような熱く、繊細なハートの持ち主である氏が「ムジカ」という「大衆文藝」と創刊しようとしている。敢えて「大衆文藝」とするには彼なりの意があるに違いない。見るところ彼の廻りには多くの「現代を生きる表現者の仲間」が集まって来るようである。その作品や活動から察するに、彼は「孤独な表現者」であるが、「孤立した表現者」ではない。「大衆・読者」もまた「創作者」が「創り出すべきものである」という信念がここにある。時代はいつも若い詩精神が切り開いて来た。

「失うものは何もない」

これはいつの時代でも時代を切り開いた真の表現者の相言葉である。
詩と心中する覚悟を持った彼に、次代の寵児となって羽ばたかれんことを祈る。


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