再生への旅

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zoom RSS 分別を越えて生きる

<<   作成日時 : 2013/10/09 04:45   >>

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平凡は意外と光り藤袴 玉宗

後悔のない生き方とか、充実した人生を送りたいとか、人はよく耳にもするし口にもする。
どのような生き方が後悔のない生き方なのか、充実した人生とはどのようなものなのか。それは人それぞれの答があるかのようであり、それでいいかのような風潮であるが、それは私に云わせれば何も云っていないに等しい。

結論を言えば答は一つしかない。それは分別を越える事だ。

分別で答を出そうとしたところで、それは分別世界の話しである。よくも悪しくも理屈とは理に屈するものだ。早晩破綻するか行き詰るに決まっている。文明、文化などと言い訳したところでそれは人間界隈の構築物である。分別の仕出かすことはたかが知れていると思わなければならない。人類二千年以上の歴史がそれを教えているのではないか。

仏道は自己に目覚め、いのちに目覚める宗教である。
いのちそのものは一度だって迷ったことはない。私のいのちも、あなたのいのちも。善人も悪人も、気に喰わない奴も、花も糸瓜も、有象無象、ピンからキリまで、いのちはどれもこれも迷ったことなどない。誤魔化しの利かない、因果歴然の、空なる因縁世界の様子なのである。

私が還るべきところはどこか?立ち帰るべき「そのもの」「実体」とは何か?どこか?それは分別だろうか?そうではない、それは「いのちそのもの事実」「実相」である、というのが仏道の理念である。
そのもの、実体として生きているものにそもそも「後悔」とか「空虚」といった観念はないだろう。ただ、そうあるだけだ。越えるとはそういうことだろう。いのちそうあるだけ、それ以外の何をいのちに求めれば気が済むというのか私には解らないのである。

そして、その、解らないことがそのまま、わが仏道の理想でもあり誇りでもある。


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「常識」

常識は意外と光り藤袴

茶の花や一期といふは仄暗く

朝はまづ顔を洗つて菊の花

秋風や五十余年の面の皮

送行の荷を枕辺に眠るなり

粧へる秘密基地ある裏の山

神寂びの風吹きぬける刈田かな

空はひとしく父のなき子の運動会

雁瘡や出稼ぎの父恋ふる日の

枝豆や自慢話の切りもなく




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