再生への旅

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zoom RSS ひとりし生まれ、ひとりし生きて、ひとりし死す

<<   作成日時 : 2013/10/13 05:09   >>

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肉食のうらさびしさをいぼむしり 玉宗

弟子が僧堂へ戻り、なんだか張り合いの無い日々を過ごしている。目と鼻の先にいるとは言え、近くて遠い結界がある。一期一会の今生で、親子となり師弟となった縁。互いを思いやることは出来るが、それぞれを代って生きることが叶う筈もない。親子と雖も、師弟と雖も、それぞれが絶対の存在者である。

ひとりし生まれ、ひとりし生きて、ひとりし死す。
ひとりとは云っても孤立ではない。関わり合いながらも、それぞれの諸行無常を生きなければならない永遠に不滅のいのちの在り様。思えば不思議な事実である。確かに理屈を越えている。関わりあわなければ危うい存在であるならば、「私」に拘る要もないようなものだが、関わり合いの中で様々な分別を働かせているのが実際のところ。人は分別することで彼岸の岸から自ら離れていく。何かと一体であった記憶を持ちながら魂は流浪し続ける。それは殆ど宿命のようにさえ見える。

人生を顧みて思うに、「わたし」とか「ひとり」とか「孤独」といった「観念」は自己を守るものでもあり、且つ危険に晒す代物でもあろう。思っても思わなくても、ものたりなくてもものたりても、わたしがいてもいなくても、なんともない世界が内にも外にもある。今、ここに、息を吸って吐いている事実。この諸行無常以外のどこに有難いものがあるというのだろう。一寸先は闇なればこそ、存在そのものの光りに目覚めなければならない。


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「石蕗の花」

夕暮れはひときは光り石蕗の花

ふるさとの海を眼下に運動会

松手入枝を揺らして終りけり

身に入むや仏の飯を三十年

墨染の闇の奥よりつづれさせ

蟷螂の鎌ふる先やはぐれ雲

秋もはや里はしぐれのひとさはぎ

やがて死ぬこの世なつかし草の花

鐘の音やなかなか暮れぬ蕎麦の花

さはやかに僧となる子の旋毛かな

海の上を月のめぐれる芒かな

秋風や生きながらへてをればこそ

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木の実みな虚空を蔵しゐたりけり

子を寺に置いて戻りし月夜かな

紅葉狩酔うた貌して出て来たる

朝に夕に照り通しなり柿紅葉

凋落のその後も色を変へぬ松

桐一葉大枚捨つる如くなり

おもかげのほとほと遠き紅葉かな

空の果て地の果て風の草紅葉

湯に浸かる肉はけだるしもみづれる

十ばかり風に落ちたるくわりんの実

秘めごとの風船葛筐なして






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