再生への旅

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zoom RSS 初紅葉・みえてくるもの

<<   作成日時 : 2013/10/20 05:07   >>

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もみづるや生きながらへてみゆるもの 玉宗

永福寺の観音祭りが終った。来月には興禅寺で同様の法要があるが、ひとまずひと段落。
夫人と二人で門前町の山を巡ってみた。總持寺祖院とも所縁の深い「古和秀水」と呼ばれる名水百選にも選ばれている名所がある。祖院から一里ほどの山中で、地元は勿論のこと、近隣在所から山清水を汲みに来る人が絶えない。以前は祖院で管理していた。草刈り機を持って年に何度か登って来たことである。現在は輪島市が管理しているようだった。

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紅葉にはまだ早く、真弓の木が赤く色づき、実をつけていた。
「古和秀水」の廻りを散策しながら昨年の今頃は札幌へ親子三人で出掛けていたこと思い出した。一年過ぎることのなんと早いことだろう。昨春に僧堂へ上山した弟子も僧堂で二度目の冬を迎えようとしている。先日来、嗣法加行で十日間ばかり顔を突き合わせていた。その言動には上山前とは違った弟子の様子が窺えたことである。

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新参のころは余念なく行に専心精進できていた日々の修行も、よくも悪しくも年季を経るに従って少しづづ身に着き、見えて来るものがある。間が出来る事はよいが、魔が差してはならない。仏道に於いても油断は好ましいことではない。自然体であることと隙だらけとは天と地の違いである。堕落することはすぐにでも出来るが、持続こそが難しい。若いと言う事は難しさに挑戦する機会を与えられているということだ。困難を越える事で見えて来るものがある。それは飛躍した者だけが見、感じることのできる新鮮な世界だ。

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生きるとはいのちの新しみのことである。怖気づいてはならない。人生にこころざし、挑戦する気概を失わないでほしい。人間には年齢に応じた初心がある。なければならない。初心とは若い者だけの特権ではない。中年には中年の、晩年には晩年の新境地がある筈である。初心がある筈である。

「今年の紅葉が一番美しい」

俳人・細見綾子は毎年この言葉を呟いたという。
だれもが、いつも、初めての只今である。瞎睡すること勿れ。滞ることなく、退くことなく、こだわりなく、やわらかに、さらりと今のいのちを燃焼し続けたいものである。


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「渋柿」

穂すすきの焦れて已まぬ沖があり

喰ひ過ぎて妙につまらぬ夜寒かな

面影を掬はむとして水澄めり

秋はさながら去るがごとくにゐたりけり

渋柿を喰はせてみたき漢あり

踏切を越えて捨てたるゑのこぐさ

釣り上げて手足怒れる紅葉蛸

珠とゆれものいふごとく芋の露

ふたりし生きてひとりし死ぬる紅葉かな

つはぶきは咲いても咲いても冥い花

偽りなきこの手に止まれ雪ばんば






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