再生への旅

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zoom RSS 空なるもの

<<   作成日時 : 2013/10/05 04:11   >>

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随分と生きてきたよな芒かな 玉宗

「空」とはつまりものの実体に関する定義である。

ものの実体とは何か?

現実とは実体とどのくらい懸け離れているのか、いないのか。懸け離れるとはどういうことか。

それそのもので満足しない私の我見や妄想がある。我見の世界を実体とするには余りにも憚れる現実の行き詰まりや齟齬がある。何かがずれている。

そのものとは何か?

私は実体を望んでいる筈なのであるが、ときに我見や妄想の世界の展開に有頂天になり、茫然となり、絶望したりしている。こんなことでいいのだろうか?といったいわれのない自責の念のようなものがときに起こる。それよりなにより、、いのちの充実感といったものが希薄なんである。もの足りなさのようなもの。満たされない欲望の残滓、或いは翳のようなものが湧いたりする。

そのようなことを点検するにつれ、実体・事実とは我見の起こる前があって、それが本当の私の心の在り方なのではないかということに気付かされる。実体と我見は本来離れているものである。これから離れなければならないような筋合いのものではない。視点を変えるならば、我見といわれる認識作用には何も実体はないと言ってよい。 ともに「空なるもの」のみである。

「空」という事実が、そのままあったりなかったり。それだけ。我見の立てようがない。これは坐禅の様子を述べているに等しい。一切皆空、本来空の、どっちへどうころんでも、なんともないいのちを生きている。そのもの、実体の世界に生きることの意義はそこにしかない。「わたし」という「我見」は竟に無明の根本、巣窟といって差支えない代物なんである。


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「鹿」

鳴き疲れたる螻蛄が畳を走り去る

一斉に鴉が鳴いて秋の暮

百日草そろそろ枯れてくれまいか

一位の実ふゝむ故郷遠くして

つくばねの風のかろさの実なりけり

宙に浮く花とりどりに秋桜

秋海棠母恋ひ初めしほとりなり

あおによし奈良の闇より鹿の声

鹿はみな女体と思ふ鼓動かな

たらちねの髪の匂ひや菊枕

秋虹の沖に波立つ潮かな







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