再生への旅

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zoom RSS 人生と云う初めてのもの

<<   作成日時 : 2013/11/14 05:13   >>

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雨ながら訪ふ客のあり実南天 玉宗

霙交じりの時雨模様の中、あるひと組の檀家母子の来訪があった。
八十歳を過ぎた母と四十代のひとり息子である。息子は未だ独身で、県外で働いている。母は去年から市外の養老施設に入所していた。若くして夫と別れ母子家庭として生きてきたようである。現在、家は空家になっている。

家やお墓の管理に不安を抱いての訪問であった。話しの節々に親子間の葛藤が窺えた。母子を残していなくなった父への思いや母への愛憎入り混じった言葉に言い尽せない思いがあるらしかった。母が養老施設へ入ったのには、そんな息子への気遣いがあったのであろう。一見仲の良い母子に見えるのであるが、人生の理不尽さや巡り合わせに対して、お互い理屈では割り切れない思いが垣間見えるのである。

そんな息子が何気なく母に対して愚痴めいたことを口にした。母は黙って笑っていた。私は息子に言ったのである。

「お母さんを責めてはいけませんね。あなたがそうであるように、おかあさんもまた自分の人生を精一杯生きてきたのに違いないのです。精一杯生きても間違ったり、思い通りに行かないのが人間です。社会です。あなたがそうであるように、お母さんもまた初めての人生を生きてきたのですし、今も初めての今を生きているのです。取り返しのつかない過去に拘り愚痴の人生を生きていくのですか?

諸行無常の人生を生きていくとは、過ぎた日々に学びながら生きていくことでもあるでしょう。生まれたときから、死ぬまで、生きている今も、いのちは本来前向きなものではありませんか?いのちは親から授かったものです。正確に言えば親の縁を借りてほとけのいのち、「わたし」という天地のいのちを授かったということです。生まれ出でたことに対して人間はだれも責任など取れないのです。いのちはそんな小さなものではありません。

人生はそのようないのちをまっすぐ戴いて、縁の中で創り上げていくものだと思います。だれのものでもない天地のいのちです。そのような世界で母子としての縁を生きている事実があるのです。寄り添いあうこともまた、あなたがたのいのちの在り様ではないでしょうか?本来、大きな、拘りのない、汚れや偏りのない、自己のいのちを大事に生きる。自己のいのちを見捨てない。そのような人間であって、初めて人のいのちの大事さにも共感できるのでしょうし、寄り添うことも出来るのでしょう。

あなたにはあなただけの生まれてきた理由がある筈です。人と比べることができないからこその人生の醍醐味。それを味わうのに何の遠慮もいりませんが、多少は力を尽くさなければなりません。仏の方を向いて、天地のいのちの方を向いて生きていこうという「ちょっとしたこころざし」があればできることです。ほとけのいのち、天地のいのちを生きるとはそのような前向きな生き方が出来るということではないでしょうか。愚痴がそのままあなたの存在価値に転換するということです。そのような人としてのいのちの縁を繋いでくれたお母さんに感謝できる人間でありたいですね。

いつも初めての今の人生。いのち大事に、あきらめないで頑張って下さい。」



「人生、やり直すことはできないが見直すことはできる」

仏教思想家金子大榮の言葉だそうである。



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「障子貼る」

毛糸編む母を根こそぎ愛しけり

行きて帰らぬ風にすさびし干菜かな

空といふ文脈のあり賀状書く

父といふ謂はば干菜のやうなもの

明日知れぬいのちの障子貼りにけり

ふくらんで日向ぼこより戻りけり

月食の始まつてゐる狐罠

山茶花やことば少なくして足れり

冬木立真つ逆さまに空があり

宵越しの蒲団に沈む五体かな




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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
今晩は嬉しいお言葉です!孫との縁に感謝の日々です!
たろうくん
2013/11/14 21:35

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