再生への旅

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zoom RSS 時雨月

<<   作成日時 : 2013/11/15 07:19   >>

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いふなればしぐれがちなる人生で 玉宗

11月は霜月とか神無月などとも呼ばれているようだが、時雨月という名称も又相応しい月でもある。
18日には興禅寺の大般若経転読祈祷法要を控えている。お参りごとのまえには境内の清掃を済ませるのが常である。昨日もそんな初冬のしぐれがちな天気を窺って落葉掃き作務に精を出した。

ときどき風が吹いてきて掃き貯めた落葉の山を吹き払ってしまう。また一からやり直し。風や雨が収まってからすればいいのであるが、夫人に催促されるまでもなく、どうも落葉をみると掃きたくなる癖がついてしまっている。庭一面に敷き詰められている落葉の風景もいいもんであることは百も承知しているのであるが、どうも、この、しぐれって奴は思わせぶりでいかん。降りみ降らずみ、どっちやねん、と突っ込みたくなる。私にはまだ時雨の風情に浸る余裕が足りないようである。

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そのような感じで竹箒をもって茫然自失していると近所の信者さんが3人お寺に入って来た。18日に予定されている法要での祈祷札の申し込みに来たのだと云う。お三人とも八十歳前後の婦人である。庫裡にあがっていただきひとときお茶を飲みながらの世間話し、昔話しに時間を費やした。

雑談の中で平成三年に住職になって二十年を過ぎていることに改めて認識させられたことである。最近、通りを歩く町の人達が随分と年老いた風に見えていた自分であるが、お寺も、私自身も、わが夫人も共にそれ相応の歳月の流れを刻んでいたのであった。迂闊にもそんな当たり前の諸行無常を覿面に知らされているのである。

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五年前に再建した伽藍には震災前の面影はなにもない。しかし、残された境内の木々の中には当時のままのものがいくつかある。いや、この五年の歳月を経て些か大木になった風でさえある。あての木、欅、楓。いづれも紅葉と落葉を今年も見せてくれている。震災後に新たに植えた夏椿、山法師、えごの木、椿、桃の木、椎の木、萩、大山蓮華、藤、牡丹、紫陽花、小手鞠、大手鞠、八つ手、無花果、花梨、柘榴、などの木々もある。

復興するにあたって境内をコンクリートやアスファルトにしなかったのも、少しでも自然らしさの中で暮らしたい思いもあったし、残された木々や草花や土に優しい環境を残して置きたかったからである。その初心を時折忘れてしまい、その管理に愚痴を零しそうになる自分がいる。

新緑もいい。若葉、青葉もいい。紅葉も、落葉もいい。裸木もいい。時雨もいい。木枯しもいい。伽藍が小さくなり境内を整備したお蔭で、外に出て木々に囲まれたお寺の空を仰ぐことが多くなった。小さく、貧しいお寺ではあるが、ありのままの自然の中で生かされ、お坊さんでいることを誇りに生きていきたい。お茶飲み話の中でそのようなことを知らされた私である。


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「狼」

月寒くわが狼を飼ひ馴らす

綿虫や力仕事をしてをれば

茶の花や鬱々と日は雲の中

沖遠く走る白波干大根

着膨れて晩年少し狂ひけり

冬の鳥甲斐なき空をひとりじめ

釘一つ抜いて始まる冬用意

綿虫を希望のやうに見失ふ

あぶな絵をくべて育てし焚火かな

夜もすがら木枯し聞くや籠堂

残菊や空を欺くものもなし




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