再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 杞憂

<<   作成日時 : 2013/11/17 05:06   >>

トラックバック 0 / コメント 1

画像


生きてゆく二人の空や冬めけり 玉宗


「考える葦」だという。
人間はそのようなものであると、又は、そのようなものでなければならないかのように教育されてきた。「葦」は弱きものの比喩なのであろう。何歩か譲って「葦」だとしても、「時々考えることもある葦」と云った方が的を射ているのではないか。というか、そのぐらいの穏便な定義にしておいた方が地球への礼儀に叶うというものではないかと思う昨今。

私のような単細胞人間でも、頭脳を持ち合わせており、それはおそらく私だけではなく、人類の特権なのであろう。文明という積み木遊びも、その特権の為せる技。それは人類の弱点を補うに余りある恩恵を齎していることは今更言うまでもないことだろう。神様の虚を突いたような人類の出現。私もまたそのような厄介者として地球という箱舟に乗り合わせている。

私のいのちは本来「素」であり、「貧」であるところの「反応態」である。いつとも知れずその反応態には、「思い」というひと手間が介在するようになった。 「思い」は先走ったり後追いしたりする癖がある。それは命の危険に曝された人類が、祖先から引き継いだ闇夜に火をかざすような防衛手段だったのかもしれない。しかし、特権も仕様を間違えると凶器になる。闇夜にかざした火が飛び火し、天をも焦がす猛火となって迫ってきているのではないかと杞憂する。

人間の「思い」が思いだけで已むのならば何のこともないのだが、昨今の異常気象もまた文明がいささかなりとも因果関係にあるとするのをみても、目に見えないからといって油断できない。というより、目に見えない「人類の思い」が具体的な現実世界となって眼前に展開していることを否定しようもない筈。引き返せない現実、その空しさを誰も声高に言おうとはしないかのようである。

地球もまた壊れやすい水の惑星であることは小学生でも知っていよう。だれもが人類や地球環境の将来を危ぶんでいる。そしてだれもがどうしてよいのか解らず手をこまねいているように見える。問題が大きすぎ、複雑過ぎるからだろう。しかし、手を拱いていて解決出来る問題などそう多くはない。行き詰まったのはやみくもに前に進んで来たからではないのか。後ずさるのも躊躇われるというのならば、せめて立ち止まるぐらいの事は出来ないものだろうか。

大人という先に生まれて来たものたちは、将来の子供たちへどのような環境と智慧の遺産を残そうとしているのだろうか。人類の欲望を永遠に、限りなく満足させるために、神様が地球を創造したとは私にはどうしても考えられない。未来の子供たちの為に少しでもマシな地球を手渡してやりたい。欲望をコントロールし、自然の中で共存できる文明社会、文化遺産を残したいものである。

人類文明もいつかは終焉することは間違いない。それが諸行無常のならいである。限りある人類。だからこその存在意義である。悠久なる宇宙の時空の中で、人類は名誉ある輝きと拡散を為し得るだろうか?

未来の子供たちに「先人は何も考えなかった葦だった」と言われないためにも。



画像



「火吹竹」

黒木積む杣が竈や火吹竹

白鳥を女体のごとく畏れけり

拘りのだんだん解け落葉掃

幸ひの彼方へ蒲団干しにけり

枯野ゆくいのちがそこにあるやうに

返らざる山彦妻のしはぶくは

大根煮る夜汽車と思ふ厨の灯

影よりもうつろひやすく着ぶくれぬ

冬安居空に影するものもなし

暮れ残るさびしさにあり石蕗の花





ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
思い煩うばかりの人間が私です!自意識過剰な私が慰みに詩を書いています、悟りは遠く、生かされるままに日々が過ぎてゆく毎日です!孫に元気をもらってます、杞憂ふと思います!屋根があるので大丈夫のように思います!
たろうくん
2013/11/17 07:45

コメントする help

ニックネーム
本 文
杞憂 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる