再生への旅

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zoom RSS 冬になり冬になりきつてしまはずに

<<   作成日時 : 2013/11/24 04:51   >>

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小雪の泣きだしさうな空なりし 玉宗

冬になり冬になりきつてしまはずに 細見綾子

細見綾子のこの感性には唸ってしまうことが多い。上の作品は若いころのものであるが、このような瑞々しい感性を晩年まで保ち続けたのだから畏れ入る。

確かに、人の暮らしも、自然も、冬になり冬になり切らず冬になる。といった日々が続いている。

昨日は二十四節季の「小雪 」であった。
北国から雪の便りが届く頃だが、まだ本格的な冬の訪れとは言い難い。雪といってもさほど多くないことから、小雪といわれたらしい。一般的には陽射しが弱くなり、紅葉が散り始める頃。銀杏や柑橘類は黄色く色づく。次第に冷え込みが厳しくなり、冬の備えが始まる。お歳暮の準備をする目安ともなっている。

能登では暖房を入れたり入れなかったりの日和である。炬燵で凌いでいる家庭もあるだろう。わがお寺には炬燵がない。以前、、永福寺に掘り炬燵があったが、先代住職が使わなくなってから消えてしまった。町内では雪吊り作業を始めた家も見受けられる。大本山總持寺祖院も境内に雪吊りが高く聳えている。

興禅寺も毎日掃き作務をしているが、そろそろ木の葉も落ち尽くしそうである。裸木になるのも間近である。つれない冬空が日々ひろがって行く。

例年、境内の冬の準備では夫人に早すぎると窘められている私である。お歳暮も、年賀状も、年末年始の準備も、一事が万事準備が早すぎるらしい。「せわしない。気ぜわしい。過程を楽しむことをしらない。せっかち。」それが夫人の私に対する評価である。私にしてみれば、夫人の暢気さの反動だと思っているのだが・・・。まあ、いずれにしても、能登に棲んで三十年になろうとしているが、未だに学習できないとはどうしたものか。われながら、どうもならんところがある。

そのくせ、俳句などという余白、余情の世界に浸っているのだから、訳が解らん。無意識にバランスをとっているのだろうか。どっちにしても、冬になり切らない今の時期には今なりの風情があることに異論はない。日向日陰の在り様を如実に実感するのも11月ならではのような気もする。それはそのまま人生の日向日陰ということであるが。

峠見る十一月のむなしさに 細見綾子


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「鰤起し」

綿虫の綿の行き先あてもなし

父といふ不在と冬の波がしら

冬菊のこころならずも括られて

雲のゆく空はうなばら日記買ふ

瘡蓋を剝がしてをれば白鳥来

憂国忌テレビ画面の砂嵐

手を摺れば紙の音せり冬紅葉

焼芋に胸焦がしては恋多く

一隅を照らすともなく着ぶくれて

虚をついてあなたなる世に帰り咲く

大根が欲しけりや取りに来いといふ

鰤起し能登の山並平伏しぬ

鰰や波の上なる夜の風




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