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zoom RSS 寄る年波の大掃除作務助走?!

<<   作成日時 : 2013/12/10 05:14   >>

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煤払ふさなかの雪となりにけり 玉宗

永福寺の裏山から手ごろな煤竹を伐って例年より少し早めに本堂の煤払いを始めた。
一般的には十三日辺りからするようである。生憎今年はその日の前後にお寺を留守にする所用が入ってしまった。一つは弟子と一緒に永平寺へ瑞世拝登しなければならない。もう一つは先日亡くなった兄弟子の四十九日法要への出席のため。いずれも夫人と一緒である。ということで少し早目の大掃除を開始したのである。

手拭を被り、マスクをしての作務である。
煤を払う前に本堂内の仏具を別部屋に片付け文字通り伽藍堂状態にする。天井、壁、障子、鴨居、天蓋などを煤竹で払う。塵、埃、蜘蛛の巣などが舞い降りて来る。畳みの上に沈静化するまで二時間ほど間を置いてから掃き作務になる。一度箒で掃きだしてから掃除機で丹念に吸い込む。終って雑巾がけ。これが結構応える。

寄る年波なんて言いたくはないのだが、煤払い作務も喘ぎながら、時間を掛けてするようになった。
煤払いが済めば、窓拭き、仏器磨きが残っている。堂内が終ったら外回りの点検、雪準備もしなければならない。小さい寺ではあるが、それなりにやることがあるもんだ。
人をこき使う事を潔しともしないし、またそんな助っ人もいない。弟子が戻ってきたらもっと楽ができるのだろうかが、楽することを覚えたら、それは老体への助走でもあろう。それもなんだか悔しい。

大掃除も始まったばかりだというのに、なんだか愚痴めいたことばかりを言い出している。これも寄る年波の為せるところだろうか。年季を積んで手を抜くことや要領を覚えたとも言えるのだが、体の為にも毎日少しづつでも動いているに越したことはないのだ。なにもできることがなくなったら淋しいものではあろう。それを思えば、喘ぎながらも汗を流し、作務のできる五体を幸いとしなければならない。

それにしても一人でする大掃除ってのもつまらん。早く弟子が帰って来ないかな。


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「雲」

雲に手が届くかもせぬ十二月

綿虫に甲斐なき空の広さかな

漱石忌父の書斎の暗さかな

うつうつと日は雲中に煤払

腸が煮えくりかえり喰ふ蜜柑

日記買ひ戻れば空の遙けさよ

寒猿の谺に山の眠りかな

煤逃の父とでくはす浜辺かな

山は暮れ空蒼ざめる焚火かな

風花の山超えて来る薬売り

蓮枯れて人の噂も風かませ










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