再生への旅

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zoom RSS 雪の永平寺へ瑞世拝登!

<<   作成日時 : 2013/12/12 04:17   >>

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雲上に耕す雪の永平寺 玉宗

今日明日と弟子と夫人と三人で永平寺を拝登する。
今夏、法戦式を済ませ、秋には嗣法もした弟子であるが、法階を得るために両本山へ拝登しなければならない。今回は先ず福井の永平寺。鶴見の總持寺は年が明けてからの予定。弟子が一人で拝登してもいいのであるが、親ばかである吾ら夫婦も同行することにした。(ルンルン)

一ケ寺の住職の資格を得るにはいくつもの段階を経なければならない。
得度して「上座」であった弟子が、法戦式をしたことで「座元」となり、嗣法し、転衣し、瑞世を済まし許状を得る事で「和尚」となる。ここで初めて「住職」となる最後の資格を得たことになる。因みに、正式に入寺し、晋山式をすれば晴れて「大和尚」となる。これはどこまでも肩書きの話し。

言うまでもなく、内実が伴うに越したことはないが、位階や肩書き、かたちを得たことで内実が育つということはどの世界でもあることで、かたちとこころは常にそれ相応の内外一如しているものだ。心配には及ばない。大事な事は、学ぶ姿勢を崩さず、内外・心法一如である道をわがものとし、道に生き、道に死する覚悟を持ち、道に育てられ、道を深める姿勢を持ち続けることだ。退せず、臆せず、慢心せず、どこまでも初心を忘れないことが肝要である。

まあ、それにしても、今日までの弟子を見た限りでは、私自身の駆けだしの様子とは雲泥の差である。私より余程まともな修行をしている。まとも過ぎて心配なくらいである。
親子共々これから先も予想もつかない人生の展開があるだろう。親と雖も、師匠と雖も、弟子や子に代って道を歩くことはできない。自立こそが真の親孝行であり、仏祖の報恩である。

弟子は弟子で、瑞世にまでくっついて来る師匠に辟易して親や師匠の自立を望んでいるのかもしれないが・・・。
まあ、市堀家、興禅寺・永福寺、そして檀家にとっては一つの目出度い儀式ではある。(いつも目出度がっているようにも見えるのだが・・。)

ということで、お天気が荒れ模様ですが、親子遠足、否、親子拝登、行って参ります。どうやら「雪の永平寺」にまみえそうです。合掌。
(写真は金沢・大乗寺です)

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「光り」

煤払頭を払ひ終りけり

暮れてゆく空に声ある煤湯かな

白鳥の目覚めのごときしづけさよ

背後より刃のごとき隙間風

畳替へひときは夜のさびしさよ

冬の空己が光りを呑み込めり

葱刻む音にも冬の深さかな

梟の咽に閊へし夜の水位

失くしたるものの光りや帰り花

狼の餓ゑに月光潅ぎけり






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