再生への旅

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zoom RSS 臘八摂心・みづからをしらんことをもとむるは

<<   作成日時 : 2013/12/02 05:13   >>

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冬安居空を欺くものもなし 玉宗

みづからをしらんことをもとむるは、 いけるもののさだまれる心なり (正法眼蔵・唯仏与仏) 」

自己を持て余し、自己に迷って出家したような私にとって、仏弟子となって間もなく邂逅したこの道元の言葉には少なからず、感動し、志を強くしたものである。解らないままにも、仏の道というも、自己の究明の先に展開するものなのだなあ、といった一筋の光明、防人の灯りのごとくに感じたものである。

昨日から僧堂では釈尊成道を慕った臘八報恩摂心が修行されている。
「摂心」の「摂」には「とりこむ、とりいれる・自らのものとする・自らのものとして扱う」といった意味がある。

八日の開けの明星までの一週間を坐禅堂に籠り己事究明に専心する。それはとりもなおさず、自己のいのちをわがものとすることには違いない。

大衆の中にいても一人。ひとりし生まれ、ひとりし生き、ひとりし死ぬ。いのちいきゆく条件。そんな自己一人の時間空間を徹底的に掘り下げ、そして解放してほしい。掘り下げることでぶれない軸が育てられる。自己を確立するのに何の遠慮もいらない。人間というものは、自分がどの面下げて生きているのか分かったものではないといったところがある。自己を知る者は幸いである。

臘八大摂心。それは、自己の彼岸へ、迷悟の彼岸へ、身を摂し、心を摂し、自他を摂し、仏を摂し、坐を摂するいのちの様子である。弟子も今頃二度目の臘八摂心の真っ只中であろう。世間の喧騒や余塵を離れて坐れることの幸い、勝縁を無駄にしてほしくはない。


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「冬籠」

臘月の朝粥に舌焦がしをり

海底のしづけさにゐて冬籠

冬籠りひとりの音を立てながら

綾取の負けない母を奪ひ合ふ

竹馬の兄より老いてしまひけり

縄跳の百まで数へ母帰らず

縄飛の輪に入れぬまゝ生きて来し

湯婆やむかしむかしの夢をみて

日本海冬の木立の合間より

冬波のしさると見えて寄するかな

花八つ手暮れゆく空の白さかな





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