再生への旅

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<<   作成日時 : 2013/12/22 05:34   >>

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湯浴みせし妻に柚子の香漂へり 玉宗

夕刻に風呂に浸かろうとしたら湯舟に柚子が浮いていない。

「お〜い 柚子が入ってないよ〜」

「ごめんなさい。忘れとったわ。」

年末の慌ただしさと永福寺の成道会を明日に控えて、流石の夫人もてんてこ舞いの様子である。それでもちゃんと用意してあったのか、ガーゼに入った柚子の塊を湯に浸かっている婿殿に目がけて放りなげてきた。

「はいよ、旦那さま。柚子だよ〜」

風呂場の窓にはまだ夕刻の明るさが残っていた。外を歩く人達の声が聞こえる。明日からまた少しづつ日が長くなる。大きな曲がり角だなと感じるひとときである。


年の瀬とは云ったものだ。大河のごとく流れゆく時間の只中に、瀬のごとくに佇む年末のひと時がある。慌ただしさの真っただ中にふと我に返るごとき、魔が差すようなひと時がある。それは「今」というものの本質を垣間見ているのかもしれない。

「時」とは何であるか?「時」は流れるものであるというのが人の世の常識である。それは間違ってはいない。「無常」であることは「時の功徳」であるとも云える。「無常」であることによって「命」はその本領を発揮する。「生」も「死」もその「時の功徳」の一断面であろう。そしてそれはいつも「今」という捉えきれない、あるがままとしてあるばかりである。

年の瀬、人生の瀬、時の瀬、そのような、「今」という足元を見つめ直すさびしいひとときがある。

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「もの」

厠に聞く鐘の音にも年の暮

冬夕焼旅に疲れしこころあり

着ぶくれて愈々暗き土踏まず

冬空のどこかが汚れ傷ついて

山茶花にうつろな空のあかるさよ

寒暮ひた寄す阿修羅の灯懐かしく

息づけるものの匂ひや冬灯

冬鳥の鋭声にけふの空仰ぐ

焚火せし後にさびしき空残る

冬柏風も迷へるけもの道



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