再生への旅

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zoom RSS 人生は旅ではない。流れそのものである。

<<   作成日時 : 2013/12/24 05:12   >>

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夜半月の光り差し込む炭俵 玉宗

永福寺で本年最後の恒期法要が行われた。
地蔵尊縁日の逮夜に併せた成道会・祠堂経法要である。午後4時打ち出しの頃はまだ外も明るかったが、法要が終り参詣者が帰る6時半ころには真っ暗。昔はもっと遅くに法要をしていた。高齢者が増えたこともあり、余りに遅くなることへの配慮から時間を変更した。晩御飯前にお参りを済ませることができる。
私の代になってお寺の行持内容も多少変えている。

成道会では釈尊の成道粥に倣って、参詣者にひと匙ほどの小豆粥を振舞うのであるが、余りにも少ないと思い、今年からお椀一杯づつにした。アツアツの小豆粥で体も温まるようで、好評であった。

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お説教ではお寺の一年を振り返って感じたことなどを話した。
一年、十年、二十年の時の流れ。参詣者の顔ぶれも様変わり、代変わりしている。住職である私自身もまた参詣者からみれば大いに様変わりしたことであろう。振り返ればあっという間の光陰、人生である。あってなきが如く、無きに等しいとしても過言でないかのごときである。そうではあるが、いつもいつも、そのときそのとき、その場その場で、かけがえのない今のいのちを戴き、尽くしてきたのには違いないのだ。私も、参詣者も又。

今、ここに、不足なく納まってている事実がある。いのち迷わないでいる今の事実がある。
迷いとはなにか?
なんの不足もない今の事実に目をそらすことだ。

全ては一瞬も止まらず流れゆく。うたかたのいのちの流れ。
人生とは何か?
それは何処かへ到達するための旅ではない。流れそのものに身を任せる事ではないのか。参詣者を前にしてつくづくそう思った次第である。合掌


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「埋火」

父といふ枯野をひとり歩むなり

吹雪より戻りし父の巨大なる

星冴えてかたはらに父ゐるごとし

混沌に眼鼻つけたる寒さかな

朽野にふり返りたる訣れかな

嗤はれて生きてし燗を熱ふせよ

手応へのなかりしけふの蒲団敷く

寒林を抜け出て悪夢かとおもふ

埋火や夜をさ迷ふ風の音

葛湯吹くいのちへ息を継ぐやうに

煤けたる顔して飾売りにけり

雪の上を走る粉雪兎罠





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