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zoom RSS 興禅寺通信十二月号      

<<   作成日時 : 2013/12/06 05:14   >>

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冬川の呑まるゝ先や日本海 玉宗

興禅寺通信十二月号        

福祉(Welfare)とは「しあわせ」や「ゆたかさ」.を意味する言葉だそうです。福祉の現場もまたいのちの尊厳、生きる意味が問われています。
福祉といえば公共の福祉・社会福祉・ソーシャルwelfareが通念ですが、個人の福祉・パーソナルwelfareといった視点もあります。前者は最大公約数的数量値として捉えることが出来るとするならば、後者は存在そのものの絶対値を指し示すものです。

社会が横のつながり、横軸の問題とするなら、宗教は個人のいのちそのものの深さへのつながり縦軸の問題です。勿論、人間の存在とは個的なものでありつつ、社会的なものです
宗教・仏道とは私個人のいのちの深さ、在り様、豊かさに私自身が切りこんでゆく世界のことであり、当に個人の福祉・パーソナルwelfareの領域のものです。仏道は存在そのものへの探求、道程です。いのちの実相を拠り所として人生を真っ直ぐ生きて行く歩みであり、学びです。

「生きていることに意味はあるのか?いのちに意味はあるのか?私は何のために生まれ、生きて、死んでいくのか?」社会福祉の現場に於いても、そのような自問自答がありましょう。
仏道は「意味付け」を超越して「生きている事実」の尊厳性、絶対性を教えています。「ありのままのいのち」をどういただくかといったことが示されているのです。

どのような境涯になっても、私がどのような姿勢で生きていくのかが問われ、試されています。 
諸行無常の人生。それは私の分別や都合を越えたところからやってきたり、去っていったりします。なるようにしかなりません。人間は本来、誤魔化しの利かない世界で生き死にしています。
ありのままの世界に生きる。それが人生の一大事なのであるということに目覚めなければなりません。ありのままのいのちをありのままに頂き、そして、いのちありのままに尽くし施して生きていく。仏の方を向いて生きる、信仰とはそのようなことを言うのではないでしょうか。

生老病死、それぞれの今があります。今の生老病死があります。今のいのちがあります。人は誰もが、いつも、かけがえのない今があるばかりです。そんな自己のいのちに寄り添い、人のいのちに寄り添い、そして仏のいのちに寄り添う。そんな福祉の人になりたいものです。いのち、大事に。合掌。



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「お取越」

石の上に下駄揃へあり藪柑子

火の消ゆるごとくつはぶき花終る

奥能登の陰りやすさよお取越

雨雲のうごめいてゐる冬木かな

揉むやうにくすぐるやうに松手入

綿虫の甲斐なき空を仰ぐなり

山茶花の散るまかせて咲いてをり

典座来て引き抜いてゆく干大根

沖見ゆるさびしさに耐へゆりかもめ

冬川の呑まるゝ先や日本海







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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
吾子の息 みつめる父母に 照り映える
大慈大悲の ひかり観世音
Oil Lamp of the Poor
2013/12/07 04:13

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