再生への旅

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zoom RSS 身心を惜しみ、且つ、身心を惜しまない

<<   作成日時 : 2014/01/14 07:29   >>

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雪の上に火種こぼせり実南天

寒行托鉢も日程の三分の一を済ませた。

今年は体調がイマイチで毎日心もとない気分で歩いている。胸の当たりに締め付けられるような、寝違えたような軽い筋肉痛があり、中々抜けない。暖かくしたり、じっとしているとなんともないのだが、力を入れるとウッ、といった感じになる。去年も寒に入って間もなく似たような症状が出て、ほどなく回復はした。

運動不足と寝不足などの要因ではないかと思ってはいるのだが、夫人は頻りに病院へ行けと繰り返す。心臓に欠陥があるのではないかという心配からである。私もそう思わないではないが、もう少し様子を見てみようと思っている。というか、今年だけは最後まで托鉢をし抜き、終ってから受診しようと思っている。なんとかそれまで持ちこたえるか、回復してほしい。人のことはとやかく口出しもするのだが、わが事となると途端に腰が引ける始末。

夫人も私も来年は還暦である。昨年末、咳の止まらない夫人を急き立てて専門医の治療を受けさせた。咳喘息の症状だった。夫人には病院へ行けと催促するのだが、わが事となると二の足、三の足を踏む。実に、男と女では男の方が意気地なしと言っていいのではなかろうか。よくも悪しくも、女はどこか大地に根ざしているようなところがある。そこへ行くと男は放浪の一匹狼のようだ。行き倒れも辞さないと言えば聞こえがいいが、人生を無為に養生するには我慢ならないようなところがある。留まることへの不安。それは意気地無しの裏返しでもあろう。


今日からは弟子の安居している總持寺祖院の寒行も始まる。明日は輪島に来て、永福寺で中食の予定である。彼にとっては二回目の寒行托鉢となる。少しはゆとりもあろうが、「行」に油断は禁物である。仏道も体が元である。身と心。どちらも仏道を生き、歩むための公界の調度である。自己の寶であり、寺の宝であり、国のたからである。私のようなおんぼろが永らえたとてたかが知れているが、弟子は私と違ってまだ歩むべき未完の歩みがある。新天地がある。

弟子は弟子で、私は私で今、ここで倒れる訳にはいかない。仏道の為に身を惜しまない。且つ、仏道の為に身を惜しみ、慎む。その心術。身術の兼ね合いが中々に難しい。

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「左義長」

肩越しにどんどの火の粉奪ひ合ひ

龍煙の雲怖ろしや吉書揚

どんど果て真つ黒焦げの水溜り

煤臭き空が残れるどんどかな

しけ続くさ中の松を納めけり

風に打たれしかろさの松を納めけり

人生に軋轢を生む着ぶくれて

着ぶくれて大河の縁にゐるごとし

朝市の路地に控へし寒雀

人の世の騒ぎみてゐる寒鴉


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「水仙」

水仙の花は耳でもあるやうな

水仙の焦れて已まぬ海の声

獣めく風の咆哮根深汁

家出には何かが足らぬ氷柱かな

あかぎれも母の形見ぞ母もさびしからむ

故郷に帰る由なき雑煮かな

狐火や母がときどき吼えたがる

痛きまで星冴え父の酒臭き

まだ愛の足らぬとばかりこの寒さ

生まれて以来身に覚えなき寒さなり






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