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zoom RSS 今日の迷信・びんづる樣が頼り?!

<<   作成日時 : 2014/01/23 20:43   >>

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山眠りそれは大きな臍の胡麻 玉宗

皆さんは「びんずる尊者」を御存知だろうか?

「ビンドラ・バラダージャ(賓度羅跋囉惰闍、Piṇḍola Bharadvāja)は、釈迦仏の弟子。弟子中でも獅子吼(ししく)第一と称される。また十六羅漢の一人。
漢訳では、賓度羅跋羅闍、賓頭盧突羅闍(とらじゃ)、賓頭盧頗羅堕(はらだ)などとも音写し、名がビンドラ、姓をバラダージャである。名前の意味は、不動、利根という。バラダージャはバラモン十八姓の中の一つである。略称して賓頭盧(びんづる)尊者と呼ばれる

日本ではこの像を堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。この像を「おびんづるさん(※上方では神仏も観音さん、えべっさんなどとさん付けで呼ばれる)」「おびんづるさま」と呼んで親しまれてきた。ことに、東大寺大仏殿の前にある像が著名である。」(ウィキメディア・フリー百科事典より)

お寺ではよく本堂を入ってすぐの脇間や露地位に置かれることが多いようだ。わが永福寺にも年季の入ったびんづる樣が一体坐ってござる。「なで仏」と言われるように、お参りの方々が自分の気になる部位を触って撫でていくので顔から肩から手から、つるつる、てかてかである。恐らく口外を憚れるようなところをも含めて全身を撫でまわされているに違いない。

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実はかく言う私も数年前から、びんづる様を撫で廻し始めている。朝のお勤めが済んだ後、点燭をして鉦を一つ鳴らして、先ず、膝の辺り、次に胸、肩、喉は定番となった。最近ではカミソリ負けの回復を願って口の周りをなでなでしている。まあ、鰯の頭もなんとかの類の迷信なのであるが、それがどういう訳か回復に向かうのだから摩訶不思議なんである。世の中には理屈や合理性を越えた展開があることもまたまぎれもない現実ではなかろうかと、実は密かに現実を畏れ、崇めている自分がいることを告白しておこう。(告白してどうなるもんでもないのだが・・)

迷信とは何か?

理性的でない世界を鵜のみにするのを笑うのは容易いことだが、解らないことまで解っていると思い込むのも立派な迷信ではないか。科学とは竟に一つの迷信でもあろう。迷信しなければ次の展開がないというのが科学的実証の基礎ではないのか。
いのち目覚めて生きる仏道に於いて、迷信の領域もまた立派ないのちの面目である。化学的とか、客観的といったような話しも私のようなものには迷信と似たりよったり、五十歩百歩である。どちらも理屈に過ぎない。いのち生きる実際とは理屈が先行しているのではない。それを弁えてのびんづる信仰の話しであることはいうまでもない。

案の定、極めて非科学的な話しになってしまった。まあ、それも本望ではあるが。



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「出て歩く」

寒木瓜や日が恋しうてならぬなり

寒禽の啄む雪の甘さうな

庵の月世に遠くして冴え渡る

月冴えて頭冷やせと云はむばかり

山茶花の散るにまかせて籠りきり

笹鳴きの日差し零してゐるやうな

海鼠さへ遊びせむとや出歩きぬ

日脚伸び猫の狼藉始まりぬ

茫々と鼻毛吹かるゝ東風岬

恋猫の夜の向かうに闇があり






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