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zoom RSS 今日の貪瞋癡・賑やかな寒念仏ってどうよ!

<<   作成日時 : 2014/01/25 19:18   >>

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朝に夕に鉦や太鼓や寒念仏 玉宗


節分までの寒行托鉢もあと9日となった。

終盤ともなると市内の寒行托鉢も宗派を越えて歩き回るようになり、鈴や太鼓の音が響き渡り賑やかになる。太鼓を敲くのは日蓮宗のお坊さん。私を含めた曹洞宗は鈴を振って歩く。法華の太鼓は中々に景気が良く、ちりんちりんの鈴の音には太刀打ちできない。ニアミスをしないようにとコースを変えるのはいつものこと。向うはどんな配慮をしているのか知らないがまあ、礼儀、仁義とでもいうんですか。そこへいくと、總持寺祖院などは雲水さん達が集団で歩くので、その音声は只事ではない。流石の太鼓も退散するのではなかろうか。多勢に無勢である。

然し、寒行は競争ではないのだから、そこには自ずから阿吽の礼節があるだろう。お坊さん達は「行」をさせて戴いているといった姿勢を忘れてはならない。鳶が餌を浚うかの如く、狼やハイエナの如く市民の喜捨を貪るなどあってはならない仕儀だ。恥ずかしいことだ。よくよく心しなければならない。

そこへいくとわが夫人などは大したもので、三時間歩いて頭陀袋の軽さを嘆こうものなら、決まってダメ出しを喰らうのである。

「お父さん、多い少ないを言わないで頂戴。情けなくなるわ。なければないで、あればあったでいいじゃない。こころを頂いているんだもの。有難いことだわ・・・。」

などと、まるで私より余程お坊さんのようなことを言う。然し、確かに夫人の言う通りなのである。お坊さんこそが貪瞋癡を離れる事を実践しなければならない。至極あたり前な事である。

施主との出会いも又、御縁である。無心に歩いていて思いもかけず声を掛けて頂き、心を寄せて頂く。それの繰り返し。中には鈴や太鼓の音を忌々しく、苦々しく感じている方もおられよう。坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い、といった御仁にも何度か出会うこともある。鈴の音、太鼓の音ひとつにも私の心根が反映される。音にも姿にも、諸行無常の光りや響きをもち、常説法の光りや響きを奏でるようにしたいものである。「行」の真偽を辺照しつつの日々である。合掌。


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「冬芽」

手すさびの風が擽る冬芽かな

侘助や即かず離れず人の世を

隼が空の陰より現れし

湯上がりの顔して梅を探りけり

白鳥の染まらぬ色の淋しさよ

羚羊の追ひつめられし眼に会ひぬ

笹子鳴き森の謎解き始まりぬ

死ぬる世のうつくし雪の白いこと

寒卵けふといふ日に居座りぬ

山暮れて寒念仏の影通る


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「暖冬」

冬あたゝか金のなる木の狂ひ咲き

雪吊りのやゝ投げやりな縄の張り

ずぶずぶと陰まで濡らし蓮根掘る

山と積む牡蠣の裾野に牡蠣を剥く

おしくらまんぢゆう性に目覚めし初めなり

狼の咆哮今も星退り

屋根裏を走るもののけ冬籠

寺の鐘撞きに戻るや寒鴉

紛れなく葉陰に灯り青木の実

兎の目愛といふにもほどがある




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