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zoom RSS お釈迦様の遺言・自立への掛け橋

<<   作成日時 : 2014/02/23 21:27   >>

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涅槃図のうしろは鬼の泣くところ 玉宗

24日の永福寺涅槃会法要の準備も出来た。
弟子の手伝いを当てにしたのだが無理だった。まだ暫くは現役で万事に当たらなければならないようである。弟子には気の済むまで雲水をしてもいいと言い渡してある手前、私の都合ばかりを優先する訳にもいかないし、するつもりもない。少しづつであるが師匠の手元を離れていく現状である。一人前の自立した木になるためにも、今しっかりと根を張る時間を与えてやりたいと思っている。弟子にばかりかまってもいられない。師匠には師匠としてやり遂げなければならないことが残っているし、まだまだ弟子にお寺を任す状態でもない。

涅槃会法要では釈尊の遺言である「仏遺教経」を拝誦する。
毎年のことながら、誦むたびにその内容に慙愧し、身の縮まる思いがする。もっと親の言うことを聞いておくのだったみたいな、親不幸の、不肖の息子と似た、不肖の仏弟子であるわが身を再認識させられる法要でもある。面の皮の厚さはお坊さんが最右翼かもしれない。それでも曲りなりに三十年の歳月をお坊さんとして生きてこれたことも、釈尊や歴代祖師の法恩は勿論のこと、寺族や檀信徒の三宝帰依の信心に支えられて来たからである。多くのご縁を戴いて今の私、不肖の仏弟子・市堀玉宗がある。

いのちあることへの報恩感謝とお坊さんとしての自己実現。私は私なりに、人を生かし、自己を生かす。それ以外に人生の意義はどこにもない。不肖ながらも、やれるだけのことはやってみるしかない。撃ちてし已まん、といった覚悟を捨て得る訳にはいかないようである。結果は天知る、地知る。自己知るのみ。よくも悪しくも、反面だろうが正面だろうが、弟子は師匠の生きざまを見て学ぶしかない。

思えば、お釈迦さまの生きざま、死に様、ご遺言を頂いて学ばさせて貰っている吾らである。学ぶ姿勢、眼差しは常に前向きである。全てが学びの対象であり、わが師匠であるとは実に真実で疑いようがない。師匠は弟子に、弟子は師匠に学ぶのである。そこに至って自己は自己に学ぶと言い得る仏弟子の面目がある。


◆永福寺涅槃会・犬の子まき 二月二十四日(月曜日)午前十一時より・お講あり



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「鳥雲に」

がむしやらに生きてものみな朧なる

止まり木にもの食ふをとこ鳥雲に

春月の円かなるさへ憂ひなる

ふつゝかな春の夢みてよひもせず

またもとの二人の暮らし鳥雲に

ぶらんこや生まれて以来臍の闇

春灯や男ばかりの味気なさ

東風烏夕日囃して戻りけり

恋猫の半ばなげやりといふ体位

種芋の芽を摘む母を捨てにけり






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