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zoom RSS 今日の知足・二月が逃げてゆく?!

<<   作成日時 : 2014/02/26 20:10   >>

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雛飾る妻をひとりにしてをきぬ 玉宗

俗に「二月は逃げてゆく」と言われる。
今年は28日で二月も尽きる。確かにあっという間に晦日になる感が強い。
逃げていくと感じられる二月の月日であるが、光陰矢の如し。それは二月だけに限ったことではない。日々刻々、諸行無常のいのちの様子である。逃げていくものとばかり愚痴って指を咥えている人生を繰り返してゐる間に、人生の終点駅に降りなければならない仕儀になるというのも悔しい。

今日は夫人と所用で金沢まで行って来た。来月中頃に横浜鶴見の總持寺を親子三人で拝登するため切符を買いに金沢駅の窓口によった。新幹線開業間近となった金沢駅では構内外のリニューアルが進捗中である。西口の様子もすっかり変わっていた。
現在中越回りでは二三回乗り継いで横浜まで行くことになるが、新幹線が開通すれば一回の乗り換えで済むことになるのだろう。便利な世の中になったものだ。

文明とは便利さの追求と実現のことであろうか。それがそのまま人生の豊かさに通じれば良いのだが、現代社会の様子は、どこかいのちの真相から逃げているように見えないこともない。
便利さ、ものの豊かさなど消費社会の理念だけで人生の豊かさを計れると思い込んでいる現代人。便利になっても抜けられないこの忙しなさはなんだろう。もの足りなさは何だろう。足ることを知らない先進国の厚顔さ。現代社会は足ることを知らない愚かさから逃げているように思えてならない。

逃げていくのは光陰であるか、いのちであるか。よくよく顧みればもとより何ものも手元に残らず、跡形もないいのちありのままの云為があるばかり。文明と雖も砂上の楼閣であるというのが仏法のスタンスである。
諸行無常に棹さして流れのままに生きる。それは欲望のままに生きるということではない。出来得る限り自然のまま、いのちありのままに生きるということだ。欲望を越えようとするこころざしがある。そこには本来差別も不平等も、搾取もない。いのちを尊重する世界があるばかりだ。

知足の彼岸とは実にそのような逃げることも追うこともない、諸行無常に生きる当所の、今の様子であると心得なければならない。



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「山の名」

目覚めたる鉢伏山の雪解水

かたかごの岨山抜けて帆山寺

またの名を観音山のふきのたう

岬なす日吉山へと東風烏

熊潜む耳掻山の木の芽かな

ははそはの黒谷村に残る雪

佐保姫と遊び呆けて峠茶屋

馬の子の鬣すでに風を呼び

生まれたることに疲れし仔猫かな

泣き寝入りしたる夜明けの雛かな

霞むほど遠くに生きて憎むなり





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