再生への旅

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zoom RSS 東日本大震災から三年

<<   作成日時 : 2014/03/12 06:47   >>

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忘れずに思ひ出せずにあたたかし 玉宗

東日本大震災から三年経つ。未だ何万人という被災者が仮設住宅に暮らし、避難している。福島は故郷へ戻れる目途さえ立っていない地域もある。現場では今も尚、この瞬間も復興へむけて汗を流し、知恵を絞っておられる方々が多くいることであろう。現代文明を襲った未曾有の大災害。それを乗り越えるにもいまだかつてない困難が横たわっているのであろう。

私が被災した能登半島地震から七年目。お蔭さまで多くの支援を得て再建復興が叶った訳であるが、震災から学んだことが幾つかあった。それは私の中で天から啓示のように授かった気付きであるといったものである。そしてそれはどこまでも私自身の人生の歩みにお中で試され確認されていくものである。被災者であったことを人様に得意げに語るつもりは毛頭ない。どこまでも私の再生物語である。

そのような次第の人間であることを前提で言わせて貰うのであるが、今現在も苦労されている東日本大震災の被災者は勿論、人災・天災を蒙って人生再生の道を歩んでいらっしゃる方々に送る言葉がある。

「あきらめないこと、むさぼらないこと、こだわらないこと」

ときに神も仏もないのかと呪詛したくなるようなこともある現実であるが、人生をむさぼらず、人生にこだわらず、人生をあきらめない柔軟さが人間には必要なのではなかろうか。

生まれて、生きて、死ぬ。この避けて通れない絶対的条件の中でいのち頂いている我等であるが、わたしが生きているのではない。大いなるもの、永遠なるものがわたしとして仮に今、ここに、生かされているという事実がある。その事実に気付くこと、目覚めることを信心とは言うのではないか。生は死に学び、死は生に学ぶ。私はなにも知らないに等しい存在である。そして少ししか知らない事は幸いでもある。学ぶことが人生そのものなのだから。

身を捨てて浮かぶ瀬もある。もとより浮世の荒波に漂い、生老病死の無常の波に棹さすわが草の身である。流れのままに、ありのままに生かされていく。めくるめく人生の転回とは、いかにも縁の寄ってきたり去るところを知らない人間のもの言いである。そして、知らないに等しいから頑張れる、精進できるといった逆説的真実がある。身を捨て、心を捨てることを学ぶ。それもこれも一寸先は闇の、限りある今生の命を如何に使い切るかという話しだからである。

このような身上で生きている一介の田舎坊主の立場で、あらためて、東日本大震災遭死者のご冥福を祈ると共に、被災者皆さまの安寧をお祈り申し上げる。合掌


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「三月十一日」

死者生者いづれ三月十日過ぎ

泣くことの足らぬとばかり月朧

土くれとなりたる魂を耕しぬ

沖望むいたどりの芽や伸びやまず

わだつみを鳥の帰るも回向なる

人はみな春をしづかに傷ついて

くるほしき海を鎮めて雁供養

雁風呂や浜に木の屑骨の屑

さまよへる海はかなしや花すみれ

春泥や亡者が足を曳くごとし

まほろばの畑打ち息を吹き返す




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