再生への旅

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zoom RSS 永遠を失くした現代人

<<   作成日時 : 2014/03/24 06:56   >>

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あの雲に乗り遅れたる春愁ひ 玉宗

もうすぐ能登半島地震から七年が経とうとしている。
その後も毎年のように日本各地、国外に於いて自然災害の絶えることはなかった。母なる大地の恩恵を享けている人間の日常の陰に、恩恵とは程遠い大地の牙が襲いかかる非日常がある。そのような危うい人生を、人類はこの地球上に繰り返してきて現在に至っている。

「四恩に報いる」という言葉がある。この「四」について諸説あるが、宗門では父母・衆生・国王・三宝(『大乗本生心地観経』)が一般的解釈となっているのではないだろうか。ここに国土、自然の恩という項目はないが、様々な縁によっていのちしていることからして、それは言うまでもない前提としてそこに横たわっている。

母の懐で育つように、人類は大地から生きてゆく術を学びとって行かなければならなかった。そして、この先も矢張り我々は暫くはこの大いなる自然の中で暮らしていくことになる。子供たちへ少しはマシな人生を遺してあげるには、懐の深い母なる大地も遺しておいてあげたい。そのためにも、同じ愚を繰り返さず、災害から学び、生き延びる智恵を身につけ、災害からの受け身を学び、再生を成し遂げていかなければならない。人間同士で争っている場合ではないのである。

あるがままの自然というものは元来人類を顧慮などしない容赦のないものなのだろう。人類が勝手に恩恵としてその実りを頂戴してきたのである。我々は母なる大地に育てて貰った恩がある。恩を忘れて貪り続けてきたのではないのか。科学文明という地球上における人類の特権も、今まさに凶器と化して人類に反転しようとしている。原子力という神の手の真似ごとも、地震国日本にとって墓穴を掘っているように思えてならない。それもこれも、すべて母なる大地の上での戯れごとである。余り悪戯が過ぎて叱られぬような智恵を身につけなければならない。

日本には諸行無常の人生観・自然観があった。それはそのまま日本人の「進歩観」ではなかっただろうか?今、その「進歩観」が破綻している。それもこれも人間の条件である自然・大地への恩を忘れての所業に見えなくもない。永遠を失くした現代人。私たちはいったい何処へ向かって行こうとしているのだろうか?




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「喰ふ」

菜の花を喰うて腸明るくす

鶯餅喰ふにブライド邪魔をして

雁風呂や見渡す限り焼け野原

青饅や夕餉間近に上がる雨

春夕焼戦禍逃れて来るかと

鳥雲に入りたる窓の汚れかな

鶯や森へとつづく勝手口

春鳥来雑巾固く絞るとき

つくしんぼ喰へと云はれて喰ひにけり

大仏のてのひらに乗り囀れり

春闌空はあかるく底なしに





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
今年の3月14日未明、愛媛は震度5強(新居浜は震度4)の地震に目が覚めました。携帯から聴こえる奇妙なアラームと同時の揺れに『震源が近い』と思ったけど、どうすることもできず、ただただ布団にしがみつくのみでした。幸い、近辺では被害なくすみましたが。
東日本大震災後に備えた気持ちばかりの缶詰めも少しずつ消化しており、いざ気づけば空っぽ。ミネラルウォーターも空っぽ。枕元にあったらいいと言われて置いてあった笛もどこへやら…(>_<)
自然の脅威を再確認した日にもなりました。本当に『忘れた頃にやってくる』というものを目の当たりにした気分です。
いきなり襲う地震。逃げようもないですが、せめて備えだけはしておきたいと思いました。
しぃ
2014/03/24 22:24
しぃ様。
お怪我がなくてなによりでした。
地震国日本。減災の知恵を学ばなければいけませんね。
災害は忘れたころに、と申しますが、災いの恐怖心を忘却しようとするのも人間の本能なのでしょう。一生恐怖心を持って生きるというのも、それは神様あんまりです、と言いたくなります。
お大事にお過ごしください。合掌
市堀
2014/03/24 22:41

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