再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 冬の終わり、春の魁。大本山總持寺祖院涅槃会

<<   作成日時 : 2014/03/11 06:58   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


山晴れて甘き涅槃の雪滴 玉宗

昨日、大本山總持寺祖院の涅槃会に随喜させて戴いた。
真冬並みの冷え込みとなり、涅槃の雪が降ったりやんだり。晴れ間の青空が雪に照り映えて眩しかった。
法堂にあたる大祖堂の改修は終っているのだが、涅槃会法要は仏殿で営まれた。法堂は彼岸会からの使用だそうである。

画像


↑通称「黒門」を向うに見た景色。鬼屋川に沿った参道を手前に進むと山門・香積台受付に至る。土塀の塀垣が美しい。白壁の建物は「白山蔵」と呼ばれる言わば宝蔵殿」である。

画像


山門下から仰ぎ見た「鐘鼓楼」である。窓を開け放って鐘を撞くのである。冬は北風が、春は春風が、四季折々の風が吹く過ぎていく場所でもある。寒さに耐えながら、煩悩にぶれることのない鐘を撞かねばならない。雲水さんもまた諸行無常の鐘の音を町内へ響かすことで、それなりに人様の役に立っている。鐘を撞くことが自他不二の行であることを実感する。。

画像


仏殿正面の須弥檀。本尊はお釈迦様。涅槃図が掛っている。

画像


法要後の涅槃団子まきの様子である。まさに「競うては涅槃団子を拾はする」である。三月は彼岸も控えていることもあるが、能登は涅槃団子とともに春がやってくるというより、冬が終るといった感が強い。

画像


許可を得て改修なった「大祖堂」を拝見させていただいた。
久しぶりの法堂である。どうしたことか、最近どの伽藍を見てもさほど広いという感じがしなくなっている。「大祖堂」もまた然り。以前は無駄に広い伽藍だなあといった思いがあったが、どういう訳だろう。自分でも不思議である。昨年、永平寺へ行った折も同様の思いをした。
良く言えば伽藍の大きさに負けないものを内実に持てるようになったということか。悪く言えば、畏れを知らない生意気な人間に成り下がったのかもしれない。恐らく後者であろう。お釈迦さんにも、ご開山にも面目次第もない所以である。

画像


法堂を後にして回廊をゆくと、最初の角の向うに「荒神池」が見える。池の奥には「不動堂」と「不動滝」がある。その脇の山道を登って行くと観音山となり、北陸三十三観音の祠が祀られている。私が出仕していたころ、紅葉山にしようかと企み、少しづつ植えてみたりもしたが、さてその後どうなったのか。夏になると、水芭蕉や睡蓮が顔を出す。モリアオガエルが卵を産むところでもある。復興事業の一環でこの裏庭の整備改修もなされるらしい。懐かしい場所である。

このような懐かしい修行道場を、今、わが弟子が雲水としての青春時代を過ごしている。よき思い出を作ってほしいものだと願う私であった。

画像


「山晴れて」

山晴れて甘き涅槃の雪しづく

競うては涅槃団子を拾はする

朧夜に子を捨てかねて唄ふなり

佐保姫にそそのかされて死ぬる世を

梅咲くや素面の空の照り陰り

山葵田へ天城の雲の滴かな

青麦に逝きて帰らぬ風が吹き

虫出しの雷に驚く臍の穴

野蒜摘む何処の馬の骨ならむ

目に余る星の数ほど犬ふぐり




ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
冬の終わり、春の魁。大本山總持寺祖院涅槃会 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる