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zoom RSS 今日の生老病死・山羊の眉?!

<<   作成日時 : 2014/04/15 19:20   >>

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生きてきた二人の桜なりしかな 玉宗

最近とみに眉毛に白いものが目立つようになってきた。
お坊さんになって以来床屋さんの厄介になっていないこともあり、眉毛は殆ど野放し状態である。余り長いものは引っこ抜いていたのだが、白髪となるとなんか勿体ない気がしてそのままにしている。夫人が見かねて抜こうとするのだが、間一髪でそれをふり払っている。私の家系を振り返ると父方は特に白髪の系統のようである。私の頭髪は四五日に一回は剃るので伸びる暇がないのだが、ゴマ塩のように白いものが混じっているのは間違いない。頭髪は伸ばす訳にはいかないが白く長い眉毛ならお釈迦さまも文句は言わないだろう。以前から仙人っぽくて憧れてはいたのである。今では長く白い眉毛が春風に吹かれているのが分かるようになった。

一般的に頭髪などが白くなると、どんだけ苦労してきたのだろうと思われる事もあるようだが、まあ、私なりに苦労なり、気遣いがなかった訳でもない。苦労話など人様に言うつもりもないし、言う筋合いのものでもないし、言ったところでどうなるものでもない。それを知っているのは夫人くらいなものである。
そんな夫人も以前からの腰痛に加えて膝に痛みを口にするようになった。因みに白髪は少ないが薄くなった。来年は還暦である。そんなこんなの二人だから、時々お互いの来し方や加齢を目の当たりにしては感慨に浸るようになった。

振り返ればあっという間の、なかったに等しい、うたかたの人生。それでも、そのときそのとき精一杯の命を生きてきたのにはちがいない。そうではあるが、精一杯生きてきたことを奢ってはいけない。精一杯生きても間違うのが人間でもある。というより精一杯生きていないものなどいるのだろうかと自問自答するべきであり、命の掛け替えのなさとは、まさしく比べられないからこその自由なのであり、最初で最後の人生だからこそ学ぶ謙虚さが欠かせないのであり、究極の自己責任の領域なのであり、人生には言い訳など通用しないことを肝に銘じるべきなのであろう。自己に奢らず、腐らず、言い訳せず、ありのままに、まっすぐ生きることの幸い。

山羊の眉となったこともそんなわが人生の荘厳であると受け止めたい。



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「羊水」

羊水をひもとく春の夢かとも

のどけさに縡切れ眠るけふもまた

代田掻き襤褸の如くに父眠り

ずぶずぶと泥の眠りを借りにくる

めざめたる不機嫌春の泥乾き

春闌あいつにだけは云はれたくない

しゃぼん玉閊へる空の底ひかな

恋を得て大きく空へ羽ばたけり

のどけさに眠るも僧となりしより

立山の雪解水なる深海魚

うららかやそれはおほきな臍のごま





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「蜃気楼」

海市見る買物籠をぶら下げて

沖遠く生贄燃ゆる海市かな

蜃気楼今し客船呑むところ

花の下虫酸のやうなもの走る

いのちほどの火の恋しさよ夕桜

青文字を深入りすれば黒文字に

従妹なる恥ずかしきもの野に遊ぶ

蜂唸る花の深空のありにけり

湯に浸かる如くに春を出て歩く

水芭蕉そつぽ向きつゝ群れをなし








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