再生への旅

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zoom RSS 今日の雲心水意

<<   作成日時 : 2014/05/09 21:01   >>

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梢吹く風の音にも夏安居 玉宗

夏安居に入ってもうすぐひと月になろうとしている。
倅の僧堂暮らしも三年目になった。帰りたいとも云わず、何を考えて修行しているのか親の方が訝しがる昨今である。一般の親であたら早く帰ってきてほしいと願うのだろうが、不肖の師匠は無責任極まりなく、出来ることなら僧堂で末永く喰わせてもらえるような人間にならんものかと思っている次第。弟子が知ったら憤慨するだろう。

そんな可哀想な弟子も古参の部類に足を踏み入れていることもあって、先日は私も出席した教区の晋山式に祖院からの用僧として法助にきていた。立ち居振る舞いにも雲水らしい逞しさが育って来たようである。内実も又、それ相応の見解を持ち始めたようで、師匠が窘められることしばしばである。師匠である私も、そんな弟子を見て学んでいるのが実際のところ。師匠もまた弟子を持つことによって師匠となる。

石の上にも三年、黙って十年坐れ、と諭される仏道の世界。今のところ、師匠である私よりは余程まともな修行をしているように思える。自得するものが必ずある筈である。無駄なものはひとつもない。ただ愚痴があるのだと見極めるに越したことはない。

行雲流水、雲の心、水の意をわがものとして日々を過ごしてほしい。まさにそれこそが天下無双である雲水の面目なのであるから。自己をまっすぐ、こだわりなく、あるがままに、流れに身心を任せて、柔軟に生きることになんの遠慮もいらない。そのような修行の醍醐味を血肉とした逞しい仏弟子に育ってほしい。

倅は確かに私と夫人の血肉を分けて生まれてきたが、明らかに違う人格の存在者である。彼の為に無能な私がしてやれること。それは、私がいなくなっても自立して生きていける逞しい人間になりますようにと、毎日祈ることくらいなのである。


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「鈴蘭」

草を引くうちにだうでもよくなりぬ

こでまりの枝をどかして風通る

鈴蘭の焦がれて已まぬ風の音

若葉して目覚めし萩の双葉かな

乳房ほど揺さぶつてみる繍毬花

風を切る鴎の腋の涼しさよ

一八の襟を正して立て直し

麦秋や旅の途中のまなざしの

売れぬ詩を抱へて夏に入らむとす

夏雲や夢を語れば果てしなく

逢ひたうて若葉に濡れて来たりしか



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「安居」

うたた寝す足裏の汚れ夏安居

看経の窓を若葉へ開け放ち

生飯を撒く池に影なす若楓

新茶飲み泥を吐かされゐたりけり

焼酎を好み世に出ることもなし

著莪の花まるで罪人ではないか

襤褸を着て銭乞ひ歩く麦の秋

早乙女の一人が誼なりしかな

三界に囚はれ草を引くことに


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「いのち」

引き際を心得蝿の来たりけり

はんざきの宴はじまる夜の雲

蝙蝠や日暮れて人を恋ふるころ

猫の子のまだ嘘つかぬ瞳かな

鹿の子が疲労困憊して生まれ

海原に息継ぐ亀のさびしさよ

泪して泳ぐ大湖の子亀かな

潅仏や命切なく濡れゐたり

蛇の衣ほとほと神に苛まれ

いきものの脛に傷あり青嵐






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