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zoom RSS 今日の人間たらし・太宰治雑感

<<   作成日時 : 2014/06/20 21:26   >>

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あかつきの夢のつづきや杜鵑 玉宗

以前、私は俳句大会で同席した俳人の坊城俊樹さんに「玉宗さんは人間たらしだよね」と指摘されたことがある。指摘された本人である私は褒められたのかと思い込み、悪い気がしなかったことを覚えている。然し、「人間たらし」とは、これといって才能があるわけじゃないし、特別に美男美女なわけでもない。 みんなに迷惑をかけたり、平気で失礼な言動をしたりする。 それなのに、やけに周囲の人から注目されるような人物の事である。一概に浮かれてばかりもいられまい。

さて、6月19日は太宰治の忌日である。正確には13日に入水した日が命日になっているようだ。19日は死体が上がった日なのだろう。戸籍上はどちらが死亡年月日になるのか私は知らない。

太宰治と言えば生家が青森津軽の金木町の地主。資産家の放蕩息子ながらも文才に恵まれ、酒と女とヒロポンに身を持ち崩した小説家。最後は玉川上水で心中。思いつくままに作品を挙げれば、「人間失格」「斜陽」「ビィヨンの妻」「走れメロス」「津軽」「富岳百景」等々。今でも命日には墓参する愛読者が多いらしい。
かくいう私も若いころその作品の殆どを読みつくしている。漁師町の貧乏人である私とは何の共通するものとてない筈なのに、何故か若い感性に共鳴するものがあったのは事実である。愛読者であったことを隠して生きて来たが、この年になって恥も外聞も雲散霧消している。私にも太宰文学にかぶれた一時期があったということだ。麻疹の様なものだと言った批評家もいたのを記憶している。云い得て妙である。

坂口安吾らと共に太宰も戦中戦後の無頼派と呼ばれた作家の一人なのだろうが、安吾には太宰のように自分に甘えるという芯の弱さが感じられない。どちらも酒豪であったらしいが、私はどちらかと言えば安吾の方が好きである。「堕落論」のような小気味のいいものを未だに読んだことがない。太宰のままでは大人として生きてゆけない、そんな危うさがあった。太宰の作品には、そんな子供じみた捻くれものの根性が透けて見えていた。実際の太宰はどんな人間であったのか想像の域を出ないのだが、私小説作家であったことを思えば、あんな感じの人間であったのだろう。あんな感じ、つまり「人間たらし」みたいな甘さがある。文才は確かに秀でていたのだろうが、表現者としても、一人の人間としても些か自己に甘え過ぎてはいなかっただろうか。こんなことを言え愛読者に叱られるかもしれんが、正直なところ私にはそう感じられていた。

太宰の作品には言葉以前の沈黙というより、文学以前の人間の饒舌があったと思う。それが彼の弱さであり、文学の致命傷であり、魅力であったのだろうと思う。

人間とは面倒な生き物ではある。それはおそらく言葉の世界を紡ぎだす人間の悲喜劇なのだろう。真の文学とは、或いは文学の真相とは言葉以前、或いは言葉以後の沈黙の世界を提示するものではなかろうか。
太宰のような在り方が私小説の一つの典型であったのかもしれないが、それはまさに時代の悲喜劇の様を呈していはしないか。太宰も又時代の子であることを免れなかったということか。それが文学であるということも云えるだろうが、私はいつまでもついていけなかった。麻疹に罹ったもののようだという指摘に肯く所以である。お陰で人間の自己可愛がりの厭らしさに免疫ができたとも云えなくはない。「かまってくれなきゃぐれる」という生き方が通用するほど社会は甘くもなければ、辛くもなかった。そういう意味では太宰文学というものの価値が確かにあるとも云えるのかもしれない。

そんなことをあげつらっていると、今の時代に太宰が生きていたらどんな小説を書き、どんな人間模様を紡ぎだしていることだろうかとなどと思ったりする。


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「滝のまへ」

なほざりに生きては滝のまへに出る

嫁入りの雨に騙され立葵

こそこそと恋も出世も麨も

黒百合や星をしるべの行者道

虎尾草やをのこに下野のこころざし

千里来し風を仏間に通しけり

飯饐えて懈怠の味がしたりけり

葛餅を喰ふに鼻息ほそくして

九十の母舐めてゐる梅酒かな

裏表なきが淋しき心太



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「桜桃忌二十句」

津軽かなしも太宰治の忌なりけり

貌の上を蛍ゆきかふ入水かな

焼酎を太宰治のやうに呑む

哀しくてならぬ薄暑の女学生

栗の花花を逸脱してをりぬ

嘘鳴きも一つくらいは不如帰

止まり木に臍曲げてゐる桜桃忌

よく晴れてなにやらさみし更衣

きぬぎぬの後ろめたさや朝焼す

さみだるゝダスゲマイネとダスゲマイネと

文才を山椒魚に呑み込まれ

懲りもせぬ三文文士梅雨寒く

明日は死ぬことにして日の短さよ

百合咲いてアリバイのなほ続きをり

さくらんぼの種が本音として残る

心中もならず水を打つ女かな

烙印を捺されて草を引くことに

月見草いつも斜めに陽がさして

飲食のやゝ疎ましき桜桃忌

匕首は未完の詩篇風薫る



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「転生」

穀象に生まれ変わつてしまひけり

月を打つ鰭の強さよ濁り鮒

うらがへる水母の無聊おもふなり

薪割つて鉄砲虫の飛び出せる

嫁がざる姉が毛虫を焼くことに

尺取りの測りかねたる枝の先

甲虫父のなき子に持たせやる

蛞蝓が裏へ回つていくところ

甘え鳴く声もおのづと鴉の子

ががんぼの翔つにいさゝか手間取りぬ

はんざきに呑み込まれたる伯母かとも






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