再生への旅

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zoom RSS 今日の有耶無耶・お坊さんの社会性?!

<<   作成日時 : 2014/07/01 18:37   >>

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梢吹く風も安居のまどろみに 玉宗

安倍政権が集団的自衛権の存在を既成事実化するための歩みに加速をかけている昨今の情勢。数を恃んでの所業である感が否めない。一方、焼身自殺を試みて現政権へ身を捨てて抵抗した人もいる。いのちをかけての意志表示。痛ましいことである。

権力者だろうがそうでなかろうが、現在、日本人で大震災復興を願わぬものとてなかろう。世界の平和を願わぬものとてなかろう。現実を尊重するのにやぶさかでないものとてなかろう。理想を掲げるのにやぶさかでないものとてなかろう。家族や隣人を愛するのにやぶさかでないものとてなかろう。死者に涙することにやぶさけでないものとてなかろう。日本という国のかたちの安寧を願わぬものとてなかろう。いのちに国境はないと認めることにやぶさかでないものはなかろう。国家は悪と善との鬩ぎ合い?そんな単純な構図なんだろうか。人間とはそんな割り切れた存在だったろうか。

みんな一生懸命生きているのにどうして諍いが絶えず、理解し合えないことになるのか。これが現実?だから現実を改革しなければならんということになるのだろうか。現実とは何だ?それは外にあるものか?本当にそうなんだろうか。人類の歴史はその現実尊重の賢明さを教えている以上に、その愚かさを教えてはいないだろうか?何度でも問いたい。現実とは何だ、と。

政教分離が建前の現代日本宗教界の現状であるが、建前は建前として実際のところ、ここへ来て宗教者からの政治的発言や政治行動といったものがあるのかどうか。寡聞にして存知しないが、政治に口を出さない、手を出さないことに賛同したからこその今があるのであろう。確かに宗派の中には政治的アクションを全面に出すところもあるようだし、現連立政権の支持母体などは現世利益・立正安国の宗旨の流れではなかっただろうか。

さて、そこへいくと宗門は御開山が比叡山の僧兵の圧迫を逃れて越前の山奥に伽藍を開堂し、宗旨を開演したり、下って鎌倉幕府の恩恵を袖に振ったという経緯がある。お釈迦様はお生まれになったカビラ国の内戦を目の当たりにして一歩も叢林から出ることなく菩提樹下に打坐し続けた。怒りを以って怒りを鎮めることは出来ない。正義を以って正義を鎮める事は出来ない。理を以って理を鎮めることはできない。情を以って情を鎮めることはできない。悪を以って悪を鎮めることは出来ない。如何に況や、善を以って悪を鎮めることをや。外からの暴力から逃げるより自己に潜む暴力性を抹殺すべきなのである。お釈迦さまはそのように内観されていたのではなかろうか。それもこれも仏教に依止する深い仔細があっての不偏不動だった筈である。

「善悪は時なり。時は善悪に非ず」とは道元禅師のお諭しである。それはまた「正義は時なり、時は正義にあらず」とも、「強弱は時なり、時は強弱に非ず」とも、「現実とは時なり、時は現実に非ず」とも、「諸行無常は時なり、諸行無常はいのちなり」とも、「善悪はいのちなり、いのちは善悪に非ず」と言っているということだ。もっと云えば「時はいのちなり、いのちはいのちなり」とも言いのけているだ。そのような次第の空なる諸法に於ける絶対とは何か?尊重すべき現実とはないか?いのちを賭けるべき正義とは何か?
人権尊重、大いに結構であるが、人権をして人権たらしめる超越したものを尊重する謙虚さもあって然るべきであろう。さもなければ、欲望を越えないことも人権である、とまで言いかねない。宗教とは「越えた領域」の話しであり、それはとりもなおさず、自己ひとりが担い、証し、目覚めていくという話しである。それをしも成仏とは言う。

そのようなことからして、政教分離、それは仏弟子の望むところである。デモもしなければ、平和活動もせず、自己の成仏に感けて世界の平和に貢献しなかった事によって抹殺されても、それもまた本来、仏弟子の望むところでなければならない。私は社会的には生産的ではない落ちこぼれであると自認している。箸にも棒にも掛らない、碌でもない徒食の類である。然し、私たち仏弟子は世間とは違った形、姿勢、内実を以って社会にアプローチしていく。どこまでも私自身を変革し、再生させることに尽力し世界を変革し、再生させていく。それは理屈先行ではない。日々の何気ない日常、いのち暮らし、喫茶喫飯、いのち戴く覿面が始めであり、お終いであり、全てである。空に生きるとはそういう事だ。それが仏弟子の私の面目であり、夢であり、理想であり、良心であり、正義であり、三分の魂なのである。それ以上でも以下でもない。買被らないでほしいし、侮っても欲しくない所以である。それを声を大にして言いたい。


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「雲の峰」

寝くたれに覆ひかぶさる雲の峰

夏茜そよぎて風をやり過ごす

俳諧に腸焦がし藪枯らし

無為徒食褒められもせず三尺寝

銃後なる遠まなざしや夏の浜

西瓜食むうちにだうでもよくなりぬ

手すさびに抜きし茅花と海を見に

仏事なるこの世の遊び合歓の花

風鈴や寝たきりの母裏返す

蛍火や目瞑りゐてもひらいても



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「夏越」

今生れし夏越の風に吹かれをり

沖つゆく白波見ゆる茅の輪かな

文弱に無駄骨ありぬ夏柳

合歓咲くやそろそろ母に逢へるころ

あかときの遠雷にまた寝落ちける

悉く類想にして風死せり

休戦の如くハンカチ干してあり

沢蟹のずり落ちてゆく浦の月

水無月の腋甘くして風そよぎ

海のもの月のものとも亀の子は

星も降る屋根裏部屋の涼しさよ



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「憂国」

すててこを好み頻りに国憂ひ

人質に取られて今も不如帰

夏茜あるかなきかの風捉へ

空もまた泣き笑ひあり合歓の花

背負ふもの一つもなくて涼しさよ

台無しの声を張りあげ鷺の去る

藪枯らし善意といふも面倒な

たらちねのふところ雷の遠ざかる

草いきれ故郷つひに捨て難く

海霧の番屋に網を繕へり

天日のいよゝ眩しき沙羅の花

立山を踏みつぶしたる雲の峰








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