再生への旅

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zoom RSS 盆三日影絵のやうに過ぎにけり

<<   作成日時 : 2014/08/15 20:44   >>

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死は生の褒美のごとし茄子の馬 玉宗

お寺のお盆行持も無事済んだ。
最終日は雨もよいとなったが、例年になく緩やかな残暑ではあった。最後まで膝の痛みを抱えて歩き回ったのであるが、終ってみると始まる前より痛みも薄らいでいる様な気がする。その分、脹脛と太ももが張っているのだが。弟子の手助けもあって以前よりは余裕を以って棚経に当たることも出来た。一人で背負い込むより二人の方が負担も少ない。心持とは不思議なものである。その波及効果は数量的なものだけではなく、クオリテイーにも及ぶ。いつにもまして、心をこめて読経できたし、檀信徒への心配りもできたように思う。まあ、自画自賛の域を出ないかもしれないが。

ところで、お盆には生者死者ともにふんだんな食を分け与えようとしている風習がある。
「施食」そこには、ものを施すこころの豊かさがある。昼と夜のの豊かさがある。自然の豊かさがある。いのちの豊かさがある。施し、施されて、今につながるほとけのいのち。

そのような盆三日を生きている人間は恰も「影絵」のように映し出される。小さな存在ながらも、餓えもせず生かされているいのち。そんな、一寸先の闇を行く人生はなんだか廻り灯籠のようにも見えて来る。儚いいのち故の、厳しさ。哀れさ。美しさ。滑稽さ。光りがある。影がある。

人生が美しいのではない。美しいと思える心があるのだ。こころの美しさがあるのだ。私はそんな人間でいたいし、仏弟子でありたい。


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「芋の露」

わたし一人の母にこぼるゝ芋の露

意外と林檎を喰いつゝ人は憎めぬもの

竃馬をば便所蟋蟀と呼ぶ故郷

負けてばかりの父の手になる青瓢

忘れずに思ひ出せずに生御魂

入水せし如くに母の踊りだす

うつせみを掃き寄せ星の屑かとも

初盆の笑まふ遺影となりにしか

自己模倣類句類想木槿散る

うらなりの茄子に乗りて父帰る

またもとの二人につくつくつく法師

新涼に目覚めつくづく足の裏




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「盆三日」

盆棚にままごと遊びのやうなもの

燈籠やめぐる歳月音もなく

盆三日影絵のごとくめぐりけり

金沢の夜に灯ともる切子かな

けふもまた鵯一羽来るのみ

燕去ぬ彼方へ空の後ずさる

謎解けぬままに老いたり秋の風

鶏頭や拳骨ほどの大きさの

秋蝉の死に物狂ひ胸に当る

背なの子がずり落ちてゆく銀河かな

をとこへし男に下野のこころざし

をみなへし女謎めく月のもの

猿酒に溺れし僧の喝ならめ


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「送り盆」

去りがての波に引かせて送り盆

送り火の俄かに猛る浜の風

盆過ぎの雲怖ろしや時化もよひ

背伸びして少し近づくカシオペア

わが影に先立たれたるいぼむしり

裏木戸を出でてほどなく盆の道

八月や曲がらぬ母の膝がしら

茄子の馬少し屈みて昇天す

朝顔に光陰淡くありにけり

流燈の傾ぎて闇に消え入りぬ






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