再生への旅

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zoom RSS 今日の五里霧中・実相に生きる

<<   作成日時 : 2014/10/30 20:36   >>

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かかる世に青き首出す大根かな 玉宗

人生の山河を歩むのに欠かせないもの、それは何だろう。
体力、脚力、知力、想像力などを総動員して人は人生という手ごわさに立ち向かって生きているかのようである。総動員して、一生懸命生きて、そしてときに誤り、ときにもの足りなくなる。何故だろう、と思う。人はなにかを当てにしたり、なにかを支えにして歩むのが普通であるが、ものごとの真相、実相を見極めることのむずかしさを学ぶことが多いもの実際のところである。実相とはなんだろう?

妄想や欲望で世界を見てしまい、或いは目を塞ぎ、耳を塞ぎ、身口意の三業に輪転し、なにが実相か解らないままに生きている私。どこに帰るべきなのか解らないまま、もの足りないままに生きている私。

私の実相、自然の実相、人生の実相・・・。何々の実相という云い方がすでになんだか実相と懸け離れて行くような感じがする。私はすでに実相のいのちを生きている筈である。実相ではないとする根拠が私にはない。嘘もほんともない、善も悪もない、いのちの実相そのものがいのちしているとしか言いようがない。生きようがない。実相を見極めることの大切さを仏道は説いている。実相に即して、受け入れて生きることだけが、人を根本的に、究極的に再生させることができる、と力説しているかのようである。

然し、人はものごとの実相を見極めることができるのだろうか。見極めは不可能だとしても、実相を信じることはできるのではないか。信じるとは身心を任せることを言う。例えば、夢を見ているとき私たちはその世界を見極めているだろうか。夢の世界に身心を委ね脱力しているではないか。驚くべきことに、目覚めて日常を過ごすときにも同様なことが起きている。ものごとの実相を見極めるのと同様の脱力で、日々現実という夢に身心を任せて生きてはいる。その実際は右往左往しているとはいえ、それはやはり一つの信の現れではないか。実相に身を任せている信の現実がある。千変万化する信の様子がある。

いつも、いつまでももの足りなさの中で生きている私ではあるが、それは見方を変えれば、人生は竟に目覚めながら見ている夢のようなものであるということではないか。寝ても覚めても夢を見る。夢という実相の中での話。人は実相に関して何も知らないに等しい、といった謙虚さを迫られているかのようである。夢だからと侮ってはいけない。実際のところ夢の力といったものもある。夢の中で夢を説き、夢を行じ、夢を証し、夢に生死する。夢力もまた人生を逞しく生きて行くための般若、つまりいのちの実相であろう。

夢を夢とし、実相を実相とし、いのちをいのちとし、自己を自己とし、迷悟を迷悟とし、生死と生死とし、諸行無常を諸行無常とし、選ばず、偏らず、貪らず、臆せず、退せず、まっすぐ戴く、それをしも大丈夫の漢とは言うのである。実相だけが実相を転じ、実相を忘じ、実相することができる。少欲知足の実相に生きる潔さ。私一人が悟っても迷っても大差のない実相の現実がある。であるからこそ、人の究極の救い、脱落底は実相の世界にしかないと肝に銘じたいものだと思っている次第。


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「冬隣」

いふことをきかぬくわりんの固さかな

頬つぺたに貼りついてゐる紅葉冷

靡きつゝ風を手玉にとる芒

箒木が炎のごとく紅葉せる

梢吹く風のすさびも冬隣

放課後はどこかなげやり鳥渡る

秋虹の沖より舟の戻り来る

今様の枝さしのべて実むらさき

刀折れ矢も尽き蓮破れけり

この頃の陰りやすさよ菊残る



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「喜捨」

大根の初物寺へ捨てに来る

白菜にどこか手抜きの重さあり

境内の流れを引いて芋水車

秋耕を戻ればいつも宵の鐘

銀杏を洗ふ寺領の小流れに

寺見ゆる軒に吊るせし唐辛子

籾殻を焼いて典座を煙らする

托鉢の道のべに呼ぶ野菊かな

戒名をもらひ卒寿の菜を間引く

山を越ゆだいだらぼつち秋の雲


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「神無月」

蟷螂のふり向くたびに枯れ兆し

東京は木枯しさへも逸りなる

しづけさに堪えぬと紅葉且つ散りぬ

蜘蛛の囲が風に吹かるゝ神無月

前線に置き忘れたる鵙の贄

且つ散りてもはや戦前かもしれぬ

失意なるまなざしにあり秋の浜

鰥夫なる失楽園に焼く秋刀魚

征きて還らぬ足音ばかり蛇穴に

大根の泥を大根の葉でぬぐひ

色鳥と生まれ何かを失ひぬ



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「神無月」

蟷螂のふり向くたびに枯れ兆し

東京は木枯しさへも逸りなる

能登ははや綿虫舞うて暮れ急ぎ

しづけさに堪えぬと紅葉且つ散りぬ

蜘蛛の囲が風に吹かるゝ神無月

前線に置き忘れたる鵙の贄

且つ散りてもはや戦前かもしれぬ

失意なるまなざしにあり秋の浜

鰥夫なる失楽園に焼く秋刀魚

征きて還らぬ足音ばかり蛇穴に

大根の泥を大根の葉でぬぐひ

色鳥と生まれ何かを失ひぬ












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