再生への旅

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zoom RSS 永福寺通信 十月号 

<<   作成日時 : 2014/10/04 18:25   >>

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もみづるや生きながらへて見ゆるもの 玉宗



永福寺通信 十月号  
 
 
生きながらえて見えるものがあります。また、見えなくなったものがあります。沖に進めば見えて来るものがあり、見えなくなってしまう陸もあります。それもこれも、人生という旅の途中の話。引き返すことも、中断することも叶わない人生の歩み。大凡の見当をつけても、いつ果てるとも知れない人生の歩み。然し、今、ここに展開している空があります。雲があります。風があります。息吹があります。出会いがあり、別れがあります。諸行無常の今、人生はそのような今があるばかりです。過去や未来というも、それは悔恨や愚痴や貪りと同様なのであってなきに等しい観念、妄想の類のものであることに目覚めなければなりません。

 人生の山河とは本人が乗り越えられるものを神は与えたのだと云われます。それはつまり人生とは私の世界の様子以外のなにものでもないという極めて当たり前の事実を示しています。そこは本来比べることのできない領域です。人の世は比べてなんぼのものだ、という現実も確かにありますが、それがいのちの価値の全てだと言い切るには無理のあるのも現実です。

 人生の山河の途上で、ときに絶望し、再生し、希望に生きる。人は人として生まれて来たのではなく、人になるために生れてきました。人になるために生きていくのです。人になるために死ななければならんのです。そして、その山河の道程と風景は、まさに人それぞれの脚力と視力と想像力の賜なのです。そのような自己が自己に落ち着くことの以外の、どこに限りあるいのちを生きる人間の安心立命がありましょう。いのちお大事に。合掌。

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観音祈祷法要のご案内

来る、十月十八日(土)午後二時から祈祷法要を行います。
家内安全、商売繁盛、大漁満足、諸願成就を祈ります。
観音幡の奉納も受け付けています。お誘い合わせの上、ご参拝下さい。合掌。

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「帰燕」

家路なほ心細くて秋時雨

誰待つとなけれど咲いて杜鵑草

有無を言はせぬ帰燕の空のありにけり

蜂の子を喰うて余生をひた走る

邯鄲の夜に騙されて以来なり

燕帰るあれほど云うてきかせたに

蛇穴に入るとも知らず喧嘩して

越後屋の悪さに集ふ虫の声

この辺り圏外にしておく花野

鮎落ちて流されてゆく速さかな























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