再生への旅

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zoom RSS 今日の一大事・唯の禅

<<   作成日時 : 2014/10/09 21:29   >>

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萩を刈り行方の知れぬ風となる  玉宗


世に無くて七癖と云われる。癖にも様々ある。迷いという癖、悟りという癖もある。私という訳の分かったような解らない世界に拘る癖、自分持ちにしたがる抜き難い癖。

今という、生きているここの事実、命している事実に様々な思いを持ち込む癖がある。色のついていない今の事実に色を着け、或いは色眼鏡で見る癖。そして本質的に浮かんでは消えるだけの思いに引きずられ、引きずって、思いだけは済まない業を重ねるのである。それを輪廻と言う。仏道はそれを止めんかと言う話である。断ち切る、又は振り回されるのを回避しないかという話であろう。宗教・仏法と言えば尻ごみをするかもしれないが、要するに命ぶれないで生きる根幹のところ。逆に言えば、それこそが宗教であろう。

そのような仏道を「只管・ただの禅」といい、その「ただ」の妙味は自己が自己に参じ、会得するしかない道でもあるという。。それは「あたま」の理解で済むようものではない。それは「仏法」という「在り難そうなもの」があるという話なのではなく、独善とは程遠い、無我にして拘りのない次元の様子なのである。そのような象徴を内外に育むことで具体的に生きているいのち。そのような極めてあたりまえの命に徹っする。それ以外のものを宗教に求めようとする癖も人間にはある。ご利益だなんだと、縁起が悪いだなんだと、罰があたるだなんだと、主義主張、上下左右、どこまでも欲望の地平線上からの展望である。

癖のない、いのちありのままの禅。好き嫌いの話ではない。自己の、ただ、ひたすらなるいのちの様子を人生の一大事として生きていこうということである。ただ、ひたすらなるものの尊厳がある。


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「晩年」

風の色海の色にも秋深み

晩年のごとくに紅葉見て歩く

実紫ほろほろ落ちて懸想めき

素風いま山のものとも海のものとも

背中から跫のして秋の暮

秋蝶の影うすくして紛れなく

改宗を焦がれて已まぬいぼむしり

雲はもう誰のものでもない案山子

蜻蛉を壊さぬやうに捕へけり

伏せ葱の首を擡ぐる十三夜


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「寒露」

あかときの夢佳境なる寒露かな

翅閉ぢて寒露の妻がうたた寝す

月蝕の始まつてゐる糸瓜かな

貌を手で撫づれば秋の深みかも

月の面を一人歩める芒とも

泣きやまぬ赤子に見する柿の空

背なの子がずり落ちてゆく天の川

おかはりを母がよろこぶ夜寒かな

黙読の咽は間抜けで杜鵑草

実紫こぼれむばかり枝伸べて


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「火の色」

秋ひとり火を育てゐる寒さかな

足もとを浮足立てゝ石蕗の花

秋蝶を光りの如く見失ふ

人を恕してかなしくなりし焚火かな

秋の蜂おのれ励まし唸りけり

箒草夕日を浴びて燃え上がる

薪を摘む家の中より秋灯

神仏を有耶無耶にして柿たわわ

柿喰へば一向宗の味がして

秋寒く現の証拠や実をこぼし

親鸞の受難の色に柿を干す

われなくてむなしきものに秋の声

ゆふぐれはみな色褪せて秋薔薇











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