再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 今日の以心伝心・覿面なる什麼物恁麼来

<<   作成日時 : 2014/10/12 21:40   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


落葉掃くために出家をしたやうな 玉宗


秋も深まり、山の装いも彩りを変じてもみづれる今日この頃。
十年一日、千年一日の如きお坊さんの暮らしぶりではあるが、物があり余り、使い捨て、ゴミに埋もれてしまいそうな現代、貧しい生活を想像することも難しい時代ともなった。彼の良寛さんの五合庵での暮らしぶりでは今晩の食べるものがないことがよくあり、「味噌を一欠けら」門前の庄屋さんに無心したという逸話も伝わっている。

そのような庵に泥棒が入った。昔の泥棒はよほど貧しかったと見えて、良寛様の一枚しかない着た切り雀の蒲団を盗みに来たというのだから呆れる。良寛さまは泥棒に気付いたが、寝た振りをして、泥棒に蒲団を盗られるまでジッとしていた。動いたら相手が驚くであろうと。件の泥棒が蒲団を持って出て行ったあとに詠まれた一句。

「盗人に取り残されし窓の月」

これが後世の作り話だとしても逸話や作り話にはそれなりの真実が通い、伝わっているであろう。良寛様の、人間の全てを受け入れたよう何気なさ、懐の深さ。それでいて人間の欲望のすべてを見切ったような厳しさ、近寄り難さはなんだろう。人間でありながら人間を已めでいるようなところがある、良寛様には。

翻って、私の日常生活は吾我ですべてを占められている。自分の都合や得手勝手に東西奔走しているようなものだ。躓いたり、悩んだり、喜んだり、泣いたり、怒ったり、口惜しかったり、妄想の切りのなさに我ながら開いた口が塞がらない。然し、そのような情けない凡夫然として生きているのも、命の事実であるには違い。それは、自分が何か当てや目的を作っているからのやっさもっさなのであろう。良寛様を見ていると欲望との関わり方の次元が違う事に気づかざるを得ない。

良寛様には、私のように目の前のものに目を奪われ心を奪われるのではなく、もっと根本的なところから命の風景を眺めているようなところがある。大らかさ、拘りのなさ、自在さ、偏りのなさ、生きている重心の違いとでもいうか。自己を決着する器の違いを感じる。そのようなニュートラルな、本来の命のなんともなさとでも云うべきものがほんのりと伝わってくる。名付けようもない無内容にして虚空の如く、そして充実している命。

「什麼物恁麼来」

今日も、なにがあってもなんともない、もの足りないながらも足りている、臨機応変にしてぶれない、生をわがものとし、死をわがものとしている、そんな名づけようもない命を戴いている私なのである。本来的に、煩悩や妄想の取り着く島がないいのち。


画像




「秋の風」

秋風や身は六尺の木偶の坊

爽やかに獣じみたる伝道師

底知れぬ男に露のにほひして

猿酒に溺れし僧の悲鳴なる

もみづれる山の方よりぞろぞろと

仏弟子も色を失ふ秋の風

秋千草風は千里をさ迷へり

松茸を採らむと家業おろそかに

露草や一歩踏み込むこと忘れ

暮れてゆくこゑを限りやきりぎりす




画像


「秋日影」

一枚の秋日を石のごと浴びる

卒寿越え灯下親しむ母なりし

貼り終へし障子明りの中にゐる

誰待つとなけれども火の恋しさよ

なかぞらに影を宿して松手入

杣が家のすで薪積む冬支度

もうなにもいらぬとばかり秋日浴ぶ

夕月に上る籾殻焼く煙り

刈り了へし萱場に山の日が落ちて

紅葉狩ときどき雲が影落し

新米を担ぐに肩を貸せといふ

山の日を先ず干柿に晒しけり


画像



「雁のころ」

生きてゐるうすら寒さも雁のころ

雁の一句もならず早寝せる

随分と生きて来たよな芒かな

会ひ難きお天道様へ柿簾

台風の近づいてゐる家路かな

あかときの夢はかなしや草雲雀

磯菊の磯に砕ける波の音

嫌はれて背高泡立草として吹かれ

収拾がつかぬ芭蕉の破れかな

紅葉蛸釣らむと赤き布垂らし

日を孕み蔓うめもどきはち切れむ


















テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
今日の以心伝心・覿面なる什麼物恁麼来 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる