再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 沢木欣一の世界

<<   作成日時 : 2014/11/06 13:06   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


塩田にとどく海鳴り波の花 玉宗

「塩田に百日筋目つけ通し 澤木欣一」

これは戦後まもなく、社会性俳句の旗手として活躍し、その後も風土俳句など即物具象で写生俳句の新たな地平を開いた澤木欣一の金字塔的作品である。のちに短詩形を感性による認識詩であると規定した澤木の、若き日の作品でもある。ここにある眼差しは如何なる感性の為せる表現なのであろうかと思ったりする。その切り取り方に氏の独自な、把握の仕方があり、観念という曖昧なものは削り取られている。

虚子も注目した澤木欣一という若き写生主義の裸眼。虚子はこの作品に、見ること、感じることに嘘のない誠実な一人の人間を見た。澤木は、現実を切り取るという具象表現をすることで社会に何を提言しようとしたのだろうか?或いは主義主張に左右される人間の観念を見切ることによって何を守ろうとしたのだろうか?戦後の日本人に求められた新しい生き方というものに、澤木なりのアプローチがあったことは想像に難くない。氏が戦前戦中を通じて、リベラルな反骨魂の持主であったことはよく知られたところで、それは戦後の生き方に於いても、真の知識人、表現者としての良心を持って生きることに繋がっていただろう。風土俳句への展開も即物具象の手法とは切っても切れない現場を尊重する写生精神の当然の傾斜であった。

社会性俳句は作品的に破綻していったという見解がある。その理由として、「社会性」という時代の共感の場がなくなっていたというものがある。時代とともに社会的問題・関心事が変化するというもの。然し、それは過ぎてしまえば当たり前のことだと言っているに過ぎない。戦後間もなく続いた日本人に貧窮した生活は、社会性俳句の作者にはその作句対象となるものであったが、戦後の高度経済成長とともに顧みられなくなった。社会性俳句も又、不易と流行の洗礼を受けた俳句の軌跡であったということだろうか。

いつの時代においても、表現者にとって一番の関心事は、どうしたら満足のいく作品ができるだろうか?ということに尽きよう。澤木と同時代人でもある金子兜太は、社会性とは態度の問題である、と言った。どのような姿勢で現実を生きて行くか。表現者は生活者でもある。理想の星を仰ぎながら曼荼羅模様の現実に足を踏ん張って生きていかねばならない。態度の問題とは、つまり表現者としてどう社会を生きていくのかということであろう。表現者として何を人生の宝として生きていくのかと言っているのである。或いは、表現にどのように関わるのかという作者のアリバイが問われているとも言えようか。

短詩形表現に俳人は何を賭けて人生を渡ろうとしているのか。それは平成の現代にも続く俳人にして人間の条件ではなかろうか?社会性を無視して人間の存在もない。それは俳人も又、意匠を凝らした社会性をもつ存在者であるということでもあろう。社会性俳句は流行の軌跡であったが、俳句の社会性はその本質と深く関わり続けているように思われてならない。

そんな沢木が牽引してきた「風」は遺言に従い一代限りで終刊。
会員同人は散り散りになった。俳句作りの指標であった絶対的な存在がいなくなり、正直私はショックで、俳句への意欲も薄れようとしていた。その後現在に至るまでいくつかの「風」衛星誌が生まれた。その頃は誘いもなく、私は無所属でもいいと思っていた。なんか面倒くさくなっていた。やはり身軽になりたいという願望があったのか。しかし事の真相はそうではなく、俳句作りの世界で私が未だに自立していなかったということなのだろう。自立することへの不安と解放感。

あんな精神状態になるとは思いもしていなかった。
その後私は自立したのかどうか、わからない。わからないままでこの世界に金魚の糞のようにぶら下がっている。それにしても、沢木欣一とは私にとって如何なる存在であったのかと思わないではいられない。社会性などと言うものを持ち合わせていない私のような人間に興味を示した下さった沢木先生。短詩形の可能性の中で、社会性の問題を考え直すに当って、私は人間沢木欣一の存在を抜きにしては考えられないのである。私にとって、社会性とはやはり「私がどう生きていくか」という日常の姿勢がそのまま俳句表現者としての最初にして最後の砦と言わざるを得ないのである。師系と云うのも憚れる私の俳句であり、俳人としての生きざまではあるが、写生の根本義が現実を尊重し、現実を越える感性による認識詩であるという沢木の片言だけを信じ、それが現代にも通じる俳諧の誠なのだと鵜呑みにして今も生きてはいる様な次第なのである。それが私の社会性なのだろうと。それ以上でも、それ以下でもない。買被られる理由も、見下げられる理由もない所以である。 



画像



「風木忌十五句」
十一月五日は故「風」主宰沢木欣一の命日なり。金沢より移り住みし武蔵野の地の庵を風木舎と名付け俳句写生子の梁山泊となる。爾来、師系などというも憚れて、「風木忌」と称し一人密かに修し来たれば、

枯れてゆく地の明るさを風木忌

武蔵野に詩をたづさへて秋ひとり

師と同じ炬燵に脚を垂れしこと

小春日の如くに子規を語りけり

枯野ゆく面影沢木欣一忌

木枯しに弄ばれてうれしさよ

訣たる人の数ほど枯野星

風の木に嘯く鬼の捨子かな

俳諧のもののふにして捨案山子

追ひかけて来たるは風の落葉のみ

綾子なく欣一もなく能登しぐれ

塩田にとどく海鳴り波の花

秋澄める能登の地聲に耳澄まし

眼前の色なき風を写生せよ

且つ散りてしづかに秋の過ぎゆけり














テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
沢木欣一の世界 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる