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zoom RSS 今日の言語道断・いのちがけ、ってどうよ?!

<<   作成日時 : 2014/12/05 19:59   >>

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蜜柑剥くうちにどうでもよくなりぬ 玉宗


風邪の具合もだいぶ本調子に戻っては来たのだが、それにしても一週間近くも寝込むとは我ながら加齢を感じざるを得ない。僧堂では臘八接心の真っ最中で、弟子をはじめ雲水さん達がいのちがけの坐禅に取り組んでいるというのに情けない話ではある。

「いのちがけ」と一言に言うのだが、いのちがけで恋をする者もいる。いのちがけで悪さをする者もいる。いのちけで家族を守る者もいる。いのちがけで生きる者、いのちがけで死ぬ者。いのちかけて生きて、そして間違う人間。まさに様々な命懸けの四苦八苦、生老病死、人生がある。

一期一会のいのちを懸けて足るものとは何か?
どんなに惜しんでも諸行無常の理を逸れることのできないお互いである。そのような本来の面目を戴いている人生のいのちであるということ。後悔のない生き方と云ったものがあるのか。だれもが我が身わが思いを大事にしたがる。仏道とはそんな自問自答の一つの在り方を提示している。

求道もまた自己の為である。本来の自己の出合う為に自己の躓き・蟠りを捨てる道でもあろう。仏法のために身を捨てこころを捨て、身を惜しまずこころを惜しまず、そして一方に仏法のために身を慎みこころを慎み、身を惜しみこころを惜しまなければならない。仏道に命懸けになるとは単なる肝っ玉の話しではない。元より名聞利養ではない。人生の逃避ではない。

一寸先は闇の人生。だれのものでもない、自己のいのちの燈明を掲げて行かなければならない。
のびやかで、こだわりのない、ひろやかな世界へ、懸けて悔いのないいのちの地平へ、私がいてもいなくてもなんともない諸行無常へ、有難くもなんともないありのままの世界へ、自ずからなる捨て方がある。自ずからなる光りがある。仏道とは竟に命懸けでなくては到底叶わない次第のものであると心得たい。


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「芭蕉忌」

芭蕉忌の木枯しみゆる枕上

枯野ゆく夢のつづきや咳こみぬ

俳諧の旅寝もならず雁供養

引き揚げし案山子を庭に祭りけり

北陸の雲の百日倉入りす

臘八のさ中の雪となりにけり

雪安居雪ふる音に目覚めつゝ

隙間風妻が来たかとおもひけり

狐火を見てきたといふ尻尾かな

正夢のごとく白鳥来たりけり



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「箒売」

空よりも浮かぬ顔して箒売

死に真似をするにほどよき枯れ具合

風邪引いてずり落ちさうな夢ばかり

ごろすけほう大蔵経を丸呑みに

大空に高舞ふ鷲の奢りかな

折鶴は寡黙な祈り雪もよひ

可も不可もなかりしけふの蒲団敷く

着ぶくれてものみな遠くなりにけり

親不知子不知波の花舞うて

白鳥に後ろめたさのやうなもの

夜の雪夜の底ひに消えにけり


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「冬日向」

遠くより冬の日向を見て足りぬ

雨音のやがて雪とはなりにけり

人の来し夜はよく爆ぜる炭火かな

抽斗の中は大陸冬鳥来

ふるさとを遠くに生きてゐる蒲団

初霰夢を諫める音すなり

純潔の汚れも少し白鳥に

大根引きいよいよ山が遠くなり

死ぬる世をつべこべいふておでん鍋

葛湯吹く筋金入りのさびしさに



















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