再生への旅

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zoom RSS 釈尊成道の星の下に

<<   作成日時 : 2014/12/08 19:17   >>

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成道の粥焚きにゆく星明り 玉宗


釈尊成道の古を慕って十二月八日に行われる法要を釈尊成道会という。僧堂では一日から報恩接心が修行され坐禅一色の弁道となる。世の中は師走とか云って繁忙期であるが、修行僧は腰が抜けるほど坐ることができる勿体なくも有難い時間ではある。言い方を換えれば、仏弟子の面目を施すことが出来る絶好の機会。

「上堂。釈迦牟尼仏大和尚、菩提樹下に在りて、金剛座に坐して、見明星悟道して云く、明星出現の時、我と大地有情と同時成道」

「我と大地有情と同時成道」が眼目であることは言うまでもない。

「悟」も「迷」も共に求めず追わない宗門の坐禅。坐る前に決着しているに越したことはないが、「迷悟」と共にあり、大地有情と共にある自己の正体を晦まさないことが一義的に求められる。成道が同時でなければならない所以であろう。

「多處添些子 少處減些子」

私のようなものが「悟った」としても未だ迷悟の分際である。生死を忌避できる訳でもない。いわんや迷っている人間をや。そうではあるが、多や少と一体であるところの些子でもあることを覚るに越したことはない。
吐く息、吸う息、一瞬一瞬が天地とともにあるという事実がある。悟っても、迷っても、私がいてもいなくても、もの足りないままでもの足りている、なんともなくて有り難い、そのような「今、ここ」がある。自己が自己に落ち着く以外に修行の本懐はない。

七日は夜通し坐り、日付が変わる八日夜半、大開静。法堂に上り、小参問答。明けて日中に正当成道会諷経。
引き続き、九日夜に二祖慧可大師報恩断臂接心。一連の報恩接心が済むと大放参。その後、大掃除となり本格的な冬用意。文字通り、走り回ることになる師走への助走である。

釈尊の成道の下、これまでどれだけの仏弟子がその星を仰いだことだろうと思う。



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「能登あえのこと」

田の神を迎へ奥能登冬初め

お取越し終へて田の神神事かな

神迎ふ棚田に冬の波がしら

裃をつけて冬田へ鍬入るゝ

めくら神手を携へて冬田べり

田の神を招き入れたる冬座敷

籾種の俵に男女あり

豊穣の二股大根床に寝て

柚子風呂の加減を神に伺へる

冬灯しまぐはふ夜の深さかな



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「大雪」

能登棲みもみとゝせとなる年の暮

木の葉髪夜の向かうへ梳る

綾取りの負けない母を奪ひあふ

イタセクスアリスおしくらまんじゆう出でしより

縄跳の波に乗れずに老いたるか

老いといふ色香ありけり干大根

寄り添へるひとゐて冬のうれしさよ

定まらぬ冬日に臍の曲がりけり

大雪やいよいよ腰の重くなり

水仙のひねくれながら真つすぐな


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「冬木」

戦火已まぬ釈尊悟道の日なりけり

後悔が追ひかけてくる師走かな

蛸壺の山と積まれて雪もよひ

虎落笛聞いて太りしねぶとかな

入水せし如くに蓮根掘り始む

絶望をするたび仰ぐ冬木あり

だれ待つとなけれどそこに冬木立

枯木みな空の奈落へ背伸びして

あすが来るための冬窓ありにけり

爛々と夜が濡れてゐる兎の眼

てのひらに裏表ある寒さかな



















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