再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 今日の羊頭狗肉・第三句集で取らぬ狸の皮算用的な

<<   作成日時 : 2014/12/17 06:36   >>

トラックバック 0 / コメント 1

画像



いろいろあつて冬の浜辺に辿りつく 玉宗



第二句集『面目』を出してから10年が経った。
来年還暦を機に第三句集をと考えていたところ、この10年間ほどで溜まった句が1万五千句ほどあることが判明した。一般的に句集は三百句から四百句ほどを自選、他選して世に問うのであるが、まあ、全てを一冊に掲載するのは無理だとしても、出来る限り多くの句を自選するつもりである。

で、手持ちの資金としての予算もできていない。句集を刊行したことのある方なら御存知であろうが、こうみえて何回も自費出版するほど贅沢ができるお寺ではない。恐らくこれが最後であろう。基本的に私は毎月の小遣いといったものを貰ったことがないし、請求したこともない。こう見えて、遊ぶことにお金を掛けたくないといったケチな根性がある。俳句は文藝という遊びである。人によって遊び方にも色々、素人、玄人がある。お金がないと玄人にはなれないだろうし、いわんや素人にもなれない可能性すらあるのだが、同人である二結社の同人費さえ免除して貰ったりして、結社の中でどのような位置付けになっているのだかよく分からんところがある。

まあ、それは置いておいて、では、俳句を遊びではなく、一つの生き方としてはどうだろうかと思う訳であるが、それこそ玄人ではないかと反論されそうだが、金をかけないで俳句の玄人になれるもんかどうか、正直判然としない。尤も、売れない俳句ばかりであるという評価では確かに玄人ではない。然し、生前に売れない作品を創り続けたゴッホのような芸術家もいる。でも、ゴッホは玄人だったのだろうか。芸術家ではあっただろうが、なんか玄人ではなかったような気がしないでもない。人生の玄人ですらなかったようなところがある。然し、どうみても画を描くことがゴッホの生き方であった、というようにしか言えない闇と光、写生力、色彩、強引さ、独善にして無私なるもの、コアなるもの、オブジェっていうんですか、つまり確かな存在感があるでのはないかな。

私の俳句も又、そのような現世で間に合わない仏弟子の生き方としての表現であってほしいと思い続けてきたようなところがあるんだな。そのような私の妄想、思い込みを外して作品の客観的評価といったものがあってもなくても一向に構わない、といった地平に出てきてしまった。

自選を危惧し、或いはオコガマシイことだという批判があることは承知しているが、まあ、そんな遠慮もしている場合ではないというのが一匹オオカミになってしまった私の開き直りがあるんだな。還暦を機に句集を出すことは確かに私と云う生き方を世に問う事でなければならない。その辺の自惚れ、独り善がりはまあ、目くじら立てるような代物でもないし、世界の大勢に影響するとも思えん。可愛いもんではなかろうか。

それにしてもである。私自身の中で、人生の区切りとして、これまでの生き方を俳句表現で総括し、新たに解放された地平を望みたい。自己解放以外のなにものでもない。人生身軽るに、こころ軽く全うしたいという切なる願いがある。私の俳句に仏弟子としての拘りや偏見や管見があるのかどうか、よく分からんが、お坊さんとしても、人間としても、俳人としても自己の感性を一大事として生きて来たつもりであったし、誤魔化さず、言い訳せず、潔く生きて来たつもりではある。それもまた俳句に反映されているものと思いたい。人は文なり、文は人なり。身の丈以上の内実を望みもしなければ、ある筈もない。名句、迷句、駄句、月並、類句類相、善悪裏表、全て合わせてなんぼの私である。俳句を鑑賞するかまえないでいただきたい。市堀玉宗という生き方を鑑賞してほしい。或いは顰蹙を買ってほしい。

まあ、具体的には資金的なこともあり一般的な句集創りを逸脱するだろう。例えば、文庫本か、新書本の体裁にすること。一ページに二句という習慣を無視し、一ページに10句。そして300ページ。句数3000句になるかな。で、定価1000円。とりあえず1000部。一句あたりの単価が異常に廉価であることに気付かれるであろう。お買い得な句集ですをうたい文句にしてもよい。

ところで、句集は買うものではなく貰ったりあげたりするという慣習があるのだが、それも無視。義理のある俳人には贈るが、基本的に買ってもらう。この強気は第一句集のときから変わっていない。第一句集も第二句集もそうやってきて赤字にはせんかった。特に第一句集は二つの賞をいただいたこともあってお釣りが来たほどである。それに味をしめた訳ではないが、まあ、それにしてもまだ計画段階でこんなことを公にするのも、ここまで自分を追いこんだら、少しは夢を叶える力にもなろうし、作品の自選力や推敲力になるだろうと目論んでのことである。私にはそういうようなところがあるんだなあ。

といような妄想を夫人にちょっとばかり話した訳であるが、案の定「信じられない!」といった顔をされた訳である。「人様に買って貰うなんて!何様のつもり・・・」
夫人には「おれの俳句は天下一品だよ!」と豪語し続けて来たのであるが、その夫人にしてこの有り様である。げに、売れない作品を持ち歩く芸術家の悲劇(喜劇?)は足元にあったということですな。



因みに、発行処は島田牙城氏の「邑書林」にする予定であるが、さて牙城さんが引き受けてくれるかどうか・・・。



画像



「冬の浜」

海鳴りの夜を灯して三平汁

暗きまで雪掻きをして納豆汁

粕汁やなにを攫ひに来る夜風

畳替へ隅に置けない妻残る

たそがるゝ明るさ煤湯せし窓に

いろいろあつて冬の浜辺に辿りつき

湯豆腐や羅睺羅に燗をつけさせて

方舟に乗り遅れたる古暦

掛乞の勝手知りたる顔をして

出稼ぎの父が戻りて年用意



画像


「雪起し」

押入れの奥より能登の雪起し

鰰や波の上ゆく夜の風

末の世の男と海鼠喰ふことに

間垣村まで雪竿の五六本

怒りともちがふ虚ろが着膨れて

海鼠腸を啜るしがなき日なりけり 

風呂吹や心もとなき父の座の
         
なにもせぬ償ひおでん買うて来る

冬薔薇わかれ話の縺れあり

葉表の雪溶けやすく青木の実

冬牡丹寄り添ふ影もなかりけり

鰤起し妻の蒲団を敷くときに








テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
買わせて頂きます。その節はお教え下さい。
奥方は無料でとのご意向のようですが、皆様に買って頂いてこそ尚価値が広がるようにも思えます。来年還暦とは羨ましい若さです。一年がかりでも必ず実現させて下さい。
みどり
2014/12/25 13:58

コメントする help

ニックネーム
本 文
今日の羊頭狗肉・第三句集で取らぬ狸の皮算用的な 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる