再生への旅

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<<   作成日時 : 2015/01/04 06:30   >>

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あらたまの空さびしもや鳶の笛 玉宗


 
新年明けましておめでとうございます。
今年は私の干支でもある未歳です。誕生日を迎えると還暦です。身も心も一陽来復、生まれ変わって新たな志で仏の道を歩みたいと思っています。
さて、「いのちがけ」という言葉をよく云いもし、耳にもするのですが、その真相はどのようなものなのか、少しく気になるところです。いのちがけで恋をしたり、いのちがけで悪さをしたり、いのちけで家族を守ったり、いのちがけで生きる者、いのちがけで死ぬ者。いのちかけて生きて、そして間違う人間。まさに様々な命懸けの四苦八苦、生老病死、人生模様があります。

一度限りのいのちを懸けて足るものとはなんでしょうか?
どんなに惜しんでも諸行無常の理を逸れることのできないお互いです。そのようないのちの本来の面目を戴いている人生であるということは誤魔化しようがありません。後悔のない生き方をだれもが望んでいることでしょう。だれもが我が身わが思いを大事に生きています。本来、存在の厳しさからみればどのように生きたって構わないのですが、仏の道とはそんな自問自答の人生への一つの在り方を示しています。

仏の道もまた自己の道です。自己を精一杯大事に生きる道です。また、それは本来の自己に巡り合い、学ぶための道です。煩悩にゆ私もちの世界のつまづきや拘りを捨てる道でもあります。自己を極め、ありのままの自己をいただく道です。まさに人生の一大事因縁といわれる所以です。

だからこそ仏法のために身を捨てこころを捨て、身を惜しまずこころを惜しまず、そして一方に仏法のために身を慎みこころを慎み、身を惜しみこころを惜しまなければならないのです。仏道に命懸けになるとは単なる肝っ玉の話しではありません。欲望を満たしたり、我見を強くするためでもありません。それは決して人生の逃避ではありません。

一寸先は闇の人生です。だれのものでもない、自己のいのちの燈明を掲げて行かなければなりません。のびやかで、こだわりのない、ひろやかな世界へ、懸けて悔いのないいのちの地平へ、私がいてもいなくてもなんともない、ありのままの世界へ、自ずからなるいのちの懸け方、捨て方があります。そこには自ずからなる光りがあります。生きる力があります。仏が仏になる道が開けます。

仏の道もまた命懸けでなくては到底叶わない次第のものでありますが、どの道の世界でもそうであるように、懸けて悔いのないものとするかどうかは、だれでもない私自身の一歩が試されています。

今年も、未のように従順に、ありのままに、知足のいのちをいただいていきたいと思います。
いのち大事に。合掌。


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「二日」

葛湯溶く嵐渦巻くやうにして

酔ひ覚めし二日の宵のさびしけれ

をととひが昔のやうにもう二日

海からの風に耐へゐる松飾

雪止んで穴のやうなる夜の空

怠け癖つくや御鏡開くとせむ

歌留多詠む母が大きくねまりをり

ふるさとの類稀なる寒さかな

煮凝や妻が夜逃げをしたやうな

水餅に疑心暗鬼の暗さあり



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「三日」

呆けたる顔を三日の風が吹く

また同じ夢に魘され初寝覚

雪吊りのなかば投げ遣りにして締まる

鱈汁や夜風に荒ぶ町に棲み

見るべきものは見たる男の焚火かな

実南天の軒の雫に叩かるゝ

貰ひ湯の路地に潜みし寒さかな

典座来て嬲る大根の干し具合

森の月冴え極まりし伽藍かな

元も子もない固さに餅の搗きあがる


















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