再生への旅

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zoom RSS 今日の一期一会・もてなしともてなされの心得?!

<<   作成日時 : 2015/01/15 17:47   >>

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寒き世に大の男が鈴を振り 玉宗

大本山總持寺祖院専門僧堂の寒行托鉢が昨日からはじまっている。
今日は旧輪島市内を廻り、お昼に拙寺永福寺で中食を供養させていただいた。総勢11名。因みに私も飯台を共にしたことである。安居中の倅も同行。雨もよいの中での托鉢だったので、本堂正面での拝登諷経回向の後は、作務衣に着替えて食事について貰った。

典座は夫人と義姉の二人。例年のことではあるが、二人とも加齢の所為かこまめに動けなくなった感があり、おもてなしされる側の雲水さん達に手伝ってもらっての飯台模様とはなった。まあ、これも一興ではあるが、そこはそれ同じお寺に暮らす者同士。もてなす側ももてなされる側も気心も礼儀も思い遣りも知れている。

「お・も・て・な・し」と云えば、東京オリンピック誘致活動の中で「日本人の美徳」として改めて注目されたようだ。

おもてなしは何にも食事だけに限った心術ではないが、僧堂では「典座」職の用心として「喜心・老心・大心」が伝承されてきていることは一般的にも知られているようだ。食事をもてなすに当たっての心得。そこには使役されているといった卑屈もなく、喰わせてやっているといった慢心もなく、共に仏道を歩む者同士への思いやりと共に、自己の成仏としての施しの実践があり、捨身供養がある。それはまた施される側の用心としても同様であり、どこまでも仏道を行ぜんがためのお互いであることへの遠近の慮りが試されている。戴く方も又貪らず、卑屈にならず、慢心せず、仏道の行ぜんが為に仏飯を戴くことの実践がある。お坊さんは欲望が先行してはならんのである。食欲だけの話ではない。日常全般、起きて寝るまで、自己へのおもてなしでないものはなく、もてなされている自己でないものはない。だからこそ、身を慎み、心を慎み、身を励み、心を励ます。それもこれも仏道に生きるお互いであるという自覚があるからこそ。

というような訳で、冗談でもなんでもなく、お坊さんに食事を供養して戴く機会とは実に千載一遇の仏縁であると思っている次第。


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「鏡開」

岩戸なす天の御鏡開きけり

愛憎はみなまぼろしの冬薔薇

青首の大根の葉に積もる雪

蓮根堀やつさもつさと進みけり

雪まろげにつちもさつちも行かずなり

寒猿や湯にも浸かれば団子にも

羚羊の眼に破れし山河あり

雪しずり南天の実を叩きけり

冬鷺も肩を窄める毛嵐ぞ

むささびや奈落の夜を一つ飛び



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「冬菜」

煙草火を譲り合ひたる枯野かな

臍を噛むごとく人参喰うてみせ

霜解けて力抜けたる冬菜かな

葉牡丹の大きな顔が空を向き

水仙やみな海へ向く明るさの

梢吹く風に雪舞ふ冬木かな

龍の玉死して遺せるものもなし

寒菊や忘れちまつた悲しみの

後戻りできぬ風なり冬菫

桑枯れて身を切る風の秩父かな



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「松納」

後ろ髪引かるゝ松を納めけり

龍神は旋毛曲がりぞ吉書揚

黒焦げの蜜柑零るゝどんどかな

手ぶらにて来ては左義長見て帰る

ゆきづまるとは如何にも陳腐冬木の芽

生きながら伝説となる毛皮かな

玄関の干菜をどけて入れよと

水餅の侘びしさにあるさゝ濁り

冬川のほそみながらも気負ひあり

枯萩や光陰しほり容赦なく





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「木偶の坊」

寒き世に鈴振るばかり木偶の坊

見つけてもらへぬ鬼のさびしさ日向ぼこ

枯野より少し成長して戻る

父よりも母は気丈でふかし飯

ゆりかもめ空に恋して生れたる

問題を先送りして喰ふ蜜柑

着膨れてかろがろしくもしやしやり出て

弁慶も妻が頼りぞ風邪心地

星生るゝ沖に恋せし鯨かな

自粛してをるに笹子の喧しき














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